Sweet Home
「あっつう・・・」
眩い日差しに目を細め、侯隆は日よけのために翳した自分の手で軽く汗を拭った。
その拍子に陽の光を弾いて薄金茶の髪がキラキラと輝く。
今日は見事な晴天。抜けるような青空。
もうすぐセミの声が聞こえ始めるであろう、そんな暑い日。
僅かに風があるのが少しだけ救いだ。
動くと余計に暑くなるし体力を使うからと。
侯隆は木陰で身動ぎもせず、向こうの公園ではしゃぎ廻る子供たちをぼんやり眺めた。
「子供は元気やわ」
元々子供好きな侯隆だったから、そんな微笑ましい様子にふっと頬を緩める。
自分の小さい時もあんな感じだっただろうか、と何でもなく思い出す。
思えばもうつい先日24歳になって、更に環境は大きく変わった。
小さかった自分はきっと予想だにしなかっただろう、今のこんな、大人になった自分。
傍目から見ればまだまだ大人とも言い難いのかもしれないけど。
大人にならなければ、結婚なんてものは出来ないわけで・・・。
つれづれもなくそう考えていた侯隆の元に、駆け寄ってきた人影。
つい15分程前、すぐそこにある不動産屋に行っていた丸山だった。
「裕さんっ。お待たせ」
「おー、貰ってきたか?」
「はい。コレ」
丸山が笑顔で目の前に掲げてみせたのは、鉛色の小さな鍵。
それは何の変哲もない家の鍵。
顔を近づけてそれをまじまじと眺めながら侯隆はぽつりと呟く。
「・・・ほんもの?」
「ちょ、決まってるやないですかー。これが、やで。これが!」
「なに興奮してんねんおまえ。鼻息荒いで」
「や、興奮もしますって。そら、だって・・・ねぇ?」
「なんやねんそれ。きっしょいなぁ〜」
丸山の興奮したような嬉しそうな、でも何だか緊張したような。
その妙なテンションに侯隆はキャハハと甲高い声で笑う。
丸山もまた、強い日差しにうっすらと汗を滲ませながら笑う。
人一倍汗っかきな丸山にとって今日の夏日はなかなかに厳しい陽気だったけれど。
今日の日のことを思えば、そんなことはまるで苦にならなかった。
むしろこの快晴は自分たちの未来を示してくれているようにも感じられて嬉しかった。
今なら何だって輝いて見える。
馬鹿みたいだけど、そんな自分がまた何よりも幸せ者に思えた。
「じゃあ裕さん、そろそろ行きましょか」
「ん。・・・行くか」
丸山の言葉にこくんとひとつ頷いて。
一瞬の間に侯隆が見せたやんわりと柔らかな微笑みを、丸山は見逃さなかった。
自分と一緒にいて、そんなにも幸せそうに笑ってくれることが
丸山をまた幸せにしたし、今日という日を改めて実感させた。
目的の家までの道のりはやはり日差しがきつかった。
特に途中に緩やかながら長い坂があったから。
けれど二人の歩みは特にゆっくりになることもなく、随分と軽やかだった。
特に、まるで今にも鼻歌でも歌い出しそうな程ご機嫌な丸山をちらりと見やって
ふっと笑いつつ、侯隆は口を開いた。
「なぁ、おまえさっきから訊こう思っててんけど」
「はい?」
「なんでそんな荷物多いん?必要最低限のモンは全部夕方に宅急便で来んねんで?」
小さな鞄ひとつの侯隆に対し、両手に紙袋を持った丸山はなかなかの荷物だった。
「あー・・・これ、みんなからのお祝い品」
「お祝い品?なにそれ。俺聞いてへん」
「や、俺もなんや新居行くまで開けんなーて言われて」
「ふぅん・・・なんやろ、気になるわ。開けろや」
「えっ、ここで?」
「問題ない。俺らへのお祝いなんやし。文句は言わせへん」
「まぁ、そうですよね・・・ええか」
「せやせや」
仲間からのお祝いというのは嬉しいけれど照れくさい。
特に照れ屋な侯隆はどんなに嬉しくても、それに対して
まともな返答を出来ないことを仲間達は誰よりよく判っていた。
事実二人が結婚の報告をした時だって、仲間たちの祝福の言葉に
これでもかと赤くなって、でもそれを隠すようにして何処かに逃げ出してしまったのは
仲間内では既に伝説となっている。
それを考えてか、仲間たちはどうやら祝いの品も
侯隆ではなく丸山の方に全て託したらしかった。
「じゃあ、ちょっと見てみまーす」
「なに?なに?おいしいもん?」
「やー・・・たぶん生活用品とかやないですかねぇ・・・」
丸山が歩きながらガサガサと袋の中を漁るのを
侯隆は横から覗き込むようにして見る。
中には洗剤だのトイレットペーパーだの醤油だの、果てはゴミ袋だの。
見事なまでに実用的な品物が無造作に突っ込まれていた。
「・・・うーわ。なんやあいつら。色気の欠片もあらへん」
「確かに・・・使うっちゃあ使うけど、なぁ・・・」
「まぁ、こんだけあれば当分買わんでも済むか・・・・・・って、なんじゃこりゃあ!」
「え?なになに?・・・・・・あ」
袋の一番下から出てきた布のようなもの。
その正体に二人は唖然とした。
「エプロンやぁ・・・」
丸山がぽかんと呟いたものは、正確に言うとピンクのエプロン。フリルつき。
エプロンと言えば料理をする時に服が汚れないようにと着用するもので。
これまた実用的と言えば実用的代物ではあるけれども。
とりあえず、そのチョイスに何となく作為的というかネタ的なものを感じずにはいられなかった。
二人は一瞬気まずそうに顔を見合わせる。
「・・・絶対、すばるやで」
「ですね・・・」
丸山はその明らかに「新妻仕様」と言った様相のエプロンをまじまじと見る。
「なんやねんすばるの奴・・・。今度会ったら絶対ガチコン言わせたんねんからなー」
「そ、ですねー・・・」
一人ぶつぶつと呟いている侯隆を後目に、丸山はいそいそとそのエプロンをしまいこむ。
一瞬だけ想像してしまったからだ。
それを身につけた、侯隆を。
ありえない。
ありえないことはよく判っている。
確かに侯隆は結構ベタな関西人だけにいわゆるオイシイことは大好きだが、
これはそういうものではなく単にその照れ屋な面を刺激するだけの代物だから。
でもありえないからこそ想像してしまうわけで。
たぶん今日の陽気と今日という日に頭がやられてしまったんだと心の中で言い訳をして。
丸山は袋の口をしっかり締めた。
「・・・ま、ええわ。行くか」
侯隆はそんな丸山をちらりと見てすぐさますたすたと歩き出してしまう。
けれどそれを慌てて追った丸山の耳にぽつりと届いた言葉。
「着てほしいんなら、素直にそう言やええのに」
「・・・え?」
丸山は信じられない気持ちで一瞬硬直したように立ち止まった。
けれど侯隆はそれを顧みることもなくさっさと行ってしまうから。
はたと我に返ってからまた後を追った。
今度は少しだけ速度をゆっくりにして。
完全に追いつくことはなく、僅かに後ろから後を着いていくように。
今その顔を見たら怒られるだろうから、見ないように。
今この顔を見られたら怒られるだろうから、見られないように。
丸山はゆっくりと侯隆の後を着いていった。
陽の光に目を細めながら。
陽の光で煌めくその髪から覗く、その僅かに赤くなった耳を眺めながら。
「裕さーん」
「・・・」
「着てほしいですー」
「・・・いまさら言うても遅いわ!」
「えっ嘘ぉ」
「遅いんじゃ。ボケとツッコミはテンポが大事やねんからな」
「え、今のボケやったん?」
「・・・おまえが突っ込んだら、ボケやったんやろ」
「じゃあ突っ込まん方向で・・・」
「・・・アホ」
今日は二人がこれから共に歩いていく第一日目。
そしてそんな二人を見守る空は、それに相応しい雲一つない晴れ模様だった。
まだ新築で綺麗なマンション。
その3階の一番奥の部屋。
その前までやってきて、二人は扉の前で互いに顔を見合わせる。
「ここ、やんな?」
「ここ、ですよねぇ?」
互いにこくこくと頷き合う。
そして丸山が不動産屋から貰ってきた紙を互いに確認し合う。
番地、マンションの名前、そして部屋番号。
全て合っている。
いや、確かに一回は下見で来ていたはずなのだが。
いざ本決まりになって、環境が変わって、そうして改めて来ると何もかもが違って見えた。
ここが、二人の新居。
「なんや緊張する・・・」
「えっ、裕さんもですか?」
ガラにもなくきゅっと手を握りしめて小さく呟く侯隆。
窺うように丸山が顔を覗き込んだ。
その表情もまたどうにも隠せない緊張が見える。
それをちらりと見やった侯隆は、ぽってりした唇を軽く尖らせた。
「・・・なんでおまえもやねん。おまえはどっしり構えとけよ」
「でもやっぱそら、緊張しますってぇ・・・」
「おっまえ、俺の旦那になった男がそんなんでどないすんねん!しっかりせぇ」
「あっはい!しっかりします!これから!」
「今すぐせぇよ!・・・緊張なんかしてへんよな?」
「して・・・ません!全然大丈夫っ!任して!」
「・・・よし」
「裕さん・・・?」
空元気は丸見えだったものの。
任して、と言って胸を叩いてみせた丸山の手を、
侯隆の白くて滑らかなそれがそっと握った。
普段はまずありえないその仕草に、丸山は内心ドキリとして
目の前の侯隆をじっと見つめた。
ずっと密やかに恋し続けてきた、想い続けてきた、その果てに。
一緒にいることに先なんて見えない自分との未来を約束してくれた、美しい恋人。
これからは生涯の伴侶。
侯隆は少し躊躇いがちに、小さく口を開いては閉じ、それを何度か繰り返す。
きっと何か言おうとしているんだろう。
それがよく判ったから、丸山はただじっと待つ。
そっと握られた自分の手に力が込められたり、少し離れそうになったり、
またそれが何度か繰り返されても。
それらの仕草は、一見傍若無人な傍目の裏側で常に不安を抱えてきた侯隆を
よく象徴しているようで・・・だからこそ何だか愛しくもあった。
そして最終的にはその手にきゅうっと力が込められた。
丸山もまた強く握り返した。
「・・・隆平」
「はい・・・って、なんや照れますわ、それ」
「いまさら照れんな。・・・おまえ、これから毎日そんなんやったら大変やろ」
そうだ。
これからは毎日だってそう呼んでもらえる。
今はまるでまだ実感が沸かないけれど。
「でも裕さん相手なら、大変なんも悪くないかなぁって思いますわ」
「浮かれすぎやわ・・・。アホやでほんまに。しょうもない奴・・・」
「・・・こんなアホで、よかったですか?」
さらりと至極穏やかに紡がれた言葉。
でも内容は考えてみれば、まさに今更だった。
結婚して、今新居の前にいて、明日からは二人だけの生活が始まると言うのに。
何でそんなことを言うのだと、侯隆は少しだけ拗ねたいような気持ちになった。
でもそれはきっと、今まで、最後の最後まで、
丸山に甘えきってきた自分のせいなのだと思い直す。
侯隆は握った丸山の手にもう片方の手も添えて、こくんと深く頷いた。
「・・・こんなアホやないと、あかんかったみたいやな」
「よかったー。今ここで考え直されたらどないしよう思った」
「するかボケ。・・・おまえこそ、今更こんなとこで人をいじめんな」
「やっ、いじめるやなんて!俺が裕さんのこといじめるなんて、ありえへん!」
「よう言うわ」
やって俺、おまえには勝たれへんもん。
・・・最後の一言は心の中でだけ。
「なぁ、鍵貸して」
「あ、はい。裕さん開けますか?」
「ん、ちゃうくて・・・ちょお貸して」
鍵を受け取った侯隆は、両手でそれを大事そうにそっと持つ。
目を伏せて、鉛色の小さなそれにそっとそっとくちづけた。
まるで厳かな何かのような光景。
白い手に包まれた鉛色のそれが、赤い唇に祝福される。
ただの何の変哲もない鍵が、その瞬間からこの上もなく大切なものになった。
絵画の中の美しい何かに魅せられたように、ぼうっとそれを見ていた丸山は
侯隆の瞳がそっと開いていくのを見てとって、今度は自らも鉛色のそれに唇を寄せた。
金属でひんやりと冷たいはずのそれは、侯隆の熱で少し温くなっていた。
祝福なら二人で。お互いがお互いに。
だってこれからここで暮らしていくのは、他でもない二人なのだから。
「・・・裕さん、大好きです。ずっと一緒におってな」
今日からここが、二人の家。
END
新婚企画第一弾は丸横でーす。
ちなみにテーマは「愛の巣」です(笑)。
新婚さんなのでいつもより甘めでお送りしております・・・ぞわわ(寒)。
いつも以上にうちの裕さんはマルちゃんのことが大好きです。
意外とこの二人ってば結婚とかしたらラブラブっぽいよ。
ほら裕さんが結婚で吹っ切れそうだから。そしたらもう障害は何もないから。
・・・恥ずかし。
(2005.5.9)
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