Good morning, Baby.
「よし、できたー」
テーブルに今できたばかりの朝ご飯を並べ終え、
暖かいそれらが立てる湯気を見て満足げに息を吐き出した侯隆は
なかなか立派なもんやないか、と心の中で自画自賛した。
事実、実家にいた頃よりは随分とまともなものが作れるようになったのだ。
元来酷い面倒くさがりの侯隆にとって、
ご飯とは美味しくて絶対に必要なものではあるけれども
決して自分の手で作るようなものではなかった。
それは一家の母親か奥さんが作るもの、という意識は侯隆の中で未だ根強かった。
ただそれは決して男尊女卑的な思考ではなく、
むしろ侯隆は女性というものを若干神聖視している節があったから。
美味しいご飯にはそんな女性の優しさや気遣いや愛情がこもっていてほしいという
単なる願望でもあった。
しかし今となってはそうも言っていられない。
あの頃の侯隆からすれば信じられないことだろうが、今の侯隆は
毎朝毎晩ご飯を自分の手で作っている。
それは至極単純な話、侯隆が結婚したからだ。
しかも一応形としては侯隆が嫁いだということになっている。
その辺の葛藤やゴタゴタはもはや思い出すのも面倒な程だったが、
今が幸せなのでそれはそれで今はもう良き思い出となっていた。
食器類も全て出し終えて、今すぐにでも食事が始められるという段階まで来て
侯隆は最後の仕上げをするために寝室へ向かう。
二人きりのこの家において、朝食を食べるのに必要な人間を起こしに。
毎日、しかも朝ともなると面倒なことこの上ない料理を、
それでも侯隆が一日もさぼることなく作り続けているのは
全て夫のためと言っても過言ではなかった。
食べてくれる相手がいるというのは予想以上にいいものなんだと
今更ながらに母の気持ちが判った。
しかもその夫はよく食べるし。しかもとても美味しそうに。
侯隆は絶対に口が裂けても言わないが、
その幸せそうに食べる姿にやられたというのが実際のところだったりする。
だから毎日の食事時というのは侯隆にとってむしろ幸せな時間でもあった。
ただ、朝ご飯の前にしなければならないこの「寝ている夫を起こす」という行為は
侯隆にとって一日の中で一番面倒なものだった。
何故なら、寝起きが悪いから。
基本的に人生が人間の三代欲求でそのままに構成されているような男で、
特に食欲と睡眠欲の旺盛さたるや感嘆と呆れと若干の諦めを侯隆に感じさせる程だった。
「・・・忠義ー?」
寝室の扉を開け、中に入る。
当然のように返ってくる言葉はなかった。
代わりに寝乱れたダブルベッドの上に身体を投げ出して眠る夫の安らかな寝息が聞こえた。
もうすぐ成人とは思えない、子供みたいな寝顔。
それに仕方なさそうにため息をつきつつ、侯隆は顔に苦笑を布いてベッドへ近づく。
「忠義、ほら起きろ。朝やで」
ゆさゆさと揺さぶれど、瞼ひとつ動かない。
寝息ひとつ乱れない。
「朝飯作ったで?食べるやろ?ご飯やでーご飯!」
ゆさゆさゆさ。
耳元でご飯ご飯と連呼しながら更に揺さぶる。
この旺盛な睡眠欲に対抗するには食欲しかないということを、侯隆はよく判っていた。
「今日はおまえの好きな卵焼きも作ったで。しかも甘いの。あまーいのー!」
「・・・・・・ん、」
少し反応があった。
しめた、と思った侯隆は強くゆさぶりながら更に耳元で連呼する。
「ほかほかご飯に豆腐のみそ汁に塩鮭やで?ほら、起き・・・・・・っ?」
あと少し、と思ってベッドに身を乗り出していた侯隆の身体が大きく揺らいだ。
皺になって乱れたシーツについていた手が急に掴まれて引っ張られたからだ。
唐突なそれに侯隆は思わずバランスを崩して倒れ込む。
けれどそれはベッドにではなく、寝ぼけ眼のせいか妙に暖かい胸の上で。
「んー・・・・・・ごはん・・・?」
「・・・おい、寝ぼけてんのか?」
「ごはん・・・」
むにゃむにゃと未だ夢の世界に半分意識を置いてきたみたいな口調で
忠義はぼそぼそと呟く。
侯隆は少し居心地悪そうにもぞもぞと身じろいで、
いつの間にか忠義の長い両腕に抱き込まれている自分の身体を
何とか脱出させようとしていた。
「せや、ごはんやで。はよ起きろ。・・・ちゅーか離せ。暑いし」
「・・・ん、きみたかくん、おはよ」
ふわん、と笑う。
未だ眠そうな口調でふにゃふにゃと。
侯隆の身体をまるで抱き枕のように、より強く抱きしめて。
人の話聞いてんのか?と思わずにはいられない。
いられないけれど・・・侯隆はその頭を軽く弾くようにして撫でてやった。
「・・・おはよ。目ぇ醒めたか?」
「ねむいー・・・」
「あかん、起きろ。飯も作ったんやし」
「んー・・・ごはんは、食べる」
「せやろ?やったらさっさと・・・まず俺を離してから、起きろ。んで、さっさと顔洗ってこい」
まるで子供のように手の掛かる夫にこれからの行動を言い渡して、侯隆はその腕を振り解こうとする。
けれどそれはどうしてか、ますます強くなるばかりでままならなかった。
身長なら僅かに負けている程度だが、悔しいことに最近力でも全く敵わなくなってしまった。
仕事でドラムを叩いている忠義の上半身は最近目を見張るものがあるのだ。
昔は俺よりちっこかったくせに・・・と侯隆は内心で舌打ちしつつ、軽く睨むようにそちらに視線をやる。
するとそこには何故だか拗ねたような顔があった。
「・・・なんでー」
「はぁ?」
「なんで、おらんかったん」
「なにがやねん・・・。ええから離せ。そんでちゃんと起きろ。おまえは」
「やや」
「なんで」
「侯隆くん、俺が抱っこして寝てたん、起きたやろ」
急に何のことかと侯隆は一瞬戸惑ったが、忠義が言いたいのはつまり、
昨夜の行為が終わった後抱きしめて一緒に眠っていたのに
侯隆が勝手に自分の腕の中から離れて起きてしまったのが不満ということらしかった。
元来言葉が端的すぎて理解しづらい夫のそれを何とか頭の中で噛み砕き、
呆れたようにその小さな頭を叩いた。
「無茶言うなや。起きな飯作れんやろが」
「いたっ。・・・でも、せやから寒かったんや」
「嘘つけ。おまえ思いっきり普通に寝てたやん」
「嘘ちゃうよ。夢ん中で俺寒かったもん。侯隆くんがおらんかったからや」
「わけのわからん言いがかりつけんな」
「言いがかりちゃう。なんで俺を一人にするん」
「おまえが寝とるからあかんのやろ」
「侯隆くんがおらんから」
「飯作っててんぞ俺は」
「侯隆くんおらんと寒いねん。いやや」
「おまえは・・・」
呆れてものが言えないとはまさにこのことだ。
いつの間にかまるで会話が成り立たなくなっている。
今さっき起きたと思ったのは気のせいだったのだろうか。
だいたい俺が起きて飯作らな、おまえ何も食えへんのやぞ!と
頭をひっぱたいて言ってやろうと思った侯隆の手が再び強く引かれ、
抱きしめられていた身体はベッドの中に引きずり込まれた。
どこでそんなテクニックを身につけた、と思わず訊きたくなるようなさりげない仕草で
忠義はやすやすと侯隆をベッドに組み敷いていた。
その二人分の匂いの混ざったシーツや布団の感じは朝感じるには刺激が強すぎる。
侯隆は思わずぴくりと肩を竦めつつ、軽く唇を尖らせて睨むように見上げた。
「・・・おまえ、それ以上のことしたら飯抜きにするで」
「えー、それはいややなぁ・・・」
「やったらはよ起きろ。
・・・ちゅーか、なんで毎朝毎朝こんなんされなあかんねん!ほんましばくぞ!」
いい加減、なんだかんだと言ってこの年下の夫にいいようにされている自分が
侯隆は無性に恥ずかしいし、どうにかしたかった。
もちろんそれが嫌ではないからまた、複雑で。
それらは年の功で上手いこと受け流せなかった場合、
結局無駄にその甲高い声を張り上げるか、些細な暴力に出るかしかなかった。
けれど結局それだって、何もかも受け止めるような
そのやんわりとした笑顔の前には無力化してしまうのだった。
「あ、怒った?」
「怒るわ!
人が飯作って起こしにきてやってんのにこのグータラ夫はほんまに腹が立つ・・・」
「侯隆くんは怒ると真っ白い顔が赤くなってええな」
「・・・何がええねん。今すぐ言うてみろ。簡潔に」
「かわええ」
「殺すぞ」
「旦那様に殺すとか言うたらあかんよ、奥さんは」
「やったらはよ起きろ」
「やったらキス」
「・・・・・・は?」
「キス」
虚を突かれたようにぽかんと口を開けている侯隆の、
その妙に弾力のある唇に忠義の長い指がするりと滑る。
忠義はこの唇が大層お気に入りだった。
いや、忠義はこの年上の妻のことをこれ以上ない程に愛していたから、
そのどこだって好きなのだけれど。
いっそのこと本当に食べてしまいたい、と毎回触れる度に思う。
その唇は忠義の心にいつだって大事にしたい気持ちと、
同時にどうにかしてやりたい気持ちと、その両方を刺激するものだった。
その唇に優しくくちづけを降らせて、時には恥ずかしいことも言わせてみたい。
穏やかで優しげで・・・侯隆いわく「何も考えてなさそうな顔」の下で、
忠義は意外と沢山のことを考えているのだった。
まるで戯れるように、ともすれば前戯のようにその指が侯隆の唇をやわやわと撫でる。
「キス。して」
「・・・なんでやねん。理由は」
「理由なんて、必要なん?」
「おまえにいいようにされんのが癪やー言うてんねん」
「なんやー。いいようにやなんて。別にそれ以上せぇへんよ」
「全然信じられん。おまえはほんまに口ばっかやからなー」
「えーそれ侯隆くんに言われたくないわぁ。口先番長のくせに。
・・・でもしてくれへんと、俺起きれへん」
「起きとるやろが」
「また寝る。・・・侯隆くん、一緒に寝る?」
寝る?と言った拍子に、唇に触れていたのとは逆の手が侯隆のシャツの裾をまくり上げる。
侯隆はその感覚に一瞬息を呑むと、焦ったようにその手を掴んで何とか留めた。
「っ、こら!寝るの意味がちゃうやろ!おまえ全然おもんないねんそんなん!」
「俺がおもんないのなんていまさらやで」
「あーあーあー・・・・・・ほんまにおもんない・・・」
「ね」
「頼むからどうにかしろやその寝起きの悪さ・・・」
「・・・ね」
にこにこと。
嬉しそうに自分を見下ろしてくる年下の夫に盛大にため息をついてみせてから、
侯隆はそっと両腕を忠義の首に廻して緩く引き寄せると小さく目を閉じ、
ちゅ、と可愛らしい音を立ててキスをした。
それは本当にフレンチキス程度のものだったが、
侯隆がそろりと目を開けるとそこには満足したように笑う忠義の顔があった。
「侯隆くん、おはよ。ごはんにしよっか?」
その目覚めはいつだって、愛を伝える唇で。
END
第二弾は倉横ということで。
まーいい加減大倉だからって寝るとか食べるとか
そういうネタ一辺倒ってどうなの?という気はしないでもないですが
思いつくのがコレばかりなものでごにょごにょ。
ちなみにテーマは一応「おはようのキス」です。
そういや、この新婚企画ではお互い下の名前で呼び合うという設定にしてあるのです。
で、裕さんに対する呼び方なんですけど、大倉は迷ったんですよね・・・。
この人「横山くん」しか聞いたことないのでー。
で、他の人とのかねあいで「侯隆くん」に。
「きみくん」じゃないのがまぁポイントと言えばポイントなのか。どうでもいいこだわりです。
しかし毎回倉横は無駄にいちゃいちゃべたべたしていますね。恥。
(2005.5.11)
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