愛染玩具 1
「あのー滝沢くん、リーダーって、具体的には何をすればいいんですかね?」
二十歳の誕生日祝いにと連れてきて貰った二人きりの食事の席で、デザートのケーキをフォークで切り崩しながら何気なく向けたのは、そんな問い。
けれどそんな風に問いかけてはみつつも、河合はその答えを待つでもなくフォークに突き刺した一切れを頬張る。
そのつやつやした唇の端をチョコレートで僅かに汚しながら口内に広がった上品な甘みは、普段食べているようなコンビニのケーキとは確かに一線を画していて、それなりに高級感のある店内の雰囲気とも相まって、河合になんだか少しだけ自分が大人になったような気分を味わわせた。
今着ている成人式用にと新調した上等なベロアのジャケットの裾から伸びた自分の手すら、なんだか大人の男のそれに見える気がする。
もちろんそれはあくまでも気がするだけで、実際にはいつもとなんら変わりない、男にしては細すぎる手首と、そこから伸びる小さな手でしかないのだけれども、要は気分の問題というやつだ。
その一方で、問いを向けられた当の先輩は、既にケーキを食べ終わって食後の紅茶に口をつけていた。
品良い小さな薔薇のモチーフが描かれた白いカップを持ち上げる様がまるでドラマのワンシーンのようだ。
まさに正統派と言わんばかりの整った顔、けれどそれが少しだけ驚いたような表情を載せる。
滝沢は軽く眉を上げ、目の前でケーキをフォークで突いては頬張る後輩の姿をまじまじと見る。
「なんだよ、いきなり」
「や、いきなりっていうか、ほら、せっかくリーダーになったことだし、ハタチにもなったことだし・・・と思って。なんていうか、改めて大人として自らに自覚を促す的な感じで!」
けれどそう言ってフォークを握り締めて笑ってみせる様は、せっかくの上等なベロアスーツや店内の上品な雰囲気もなんとなくままごとに見えるような、そんな幼さを感じさせて、滝沢は思わず小さく笑ってしまった。
「お前、なんかあれだなぁ」
「へ?あれ?」
「いつまで経っても子供」
「えっ、いや、そりゃあ自分でも精神年齢小5な自覚はありますけど」
「だろ?だから二十歳になったって言っても、なぁ」
「いやいやいや、だからこれからなんですって!俺はこれから大人の階段を上るんですって!」
大人の階段などと真顔で言ってること自体がまだ夢見る段階に過ぎないんだよな、と滝沢は思う。
ジュニアの中でも滝沢がとりわけ可愛がっているグループの最年少で、その通り確かに末っ子を感じさせる明るさと人懐こさがある、お喋りで人好きなムードメーカー。
構うといちいち反応が面白いから、ついついこうしてからかうような言葉を向けてしまう。
けれどそれは何も滝沢だけに限った話ではなくて、言ってしまえばメンバーから始まってその周りの親しいメンツ皆に言えることだ。
誰もが構わずにはいられない、放っておけない、それはきっと河合の天性の愛され体質というやつだろう。
「で、大人になったことだし、改めてリーダー頑張るって?」
「そうそう、そうなんです。あの、なんだかんだリーダーとか言っても、結局俺なんもしてないなぁ、って思って・・・」
「ていうかさ、リーダーとかそんなに本気にしてるとは思わなかったよ」
どこかしみじみと発せられたそんな言葉に、河合は驚いたようにポカンと口を開けて目を見開く。
「・・・えっ、え!?いまさら!?」
「なんだよ、その『いまさら』って」
「だ、だって、そもそも滝沢くんが言ったんじゃないっすかー」
「え、俺?なにを?」
「なにをって・・・そろそろリーダー決めればって・・・」
本当にわかっていない様子で聞き返してくる滝沢に、河合はなんだか納得いかないような表情で窺うようにぼそぼそと呟く。
A.B.C.が今の四人で活動するようになってもう何年にもなるが、今までリーダーなどというものは決めたことがなかった。
そもそもジュニアのグループなどはだいたいそういう傾向にあって、デビューに当たって一応誰かに決める場合と、結局特には決めずに活動していく場合とに分かれていく。
けれどそんな中異例だっただろう、A.B.C.は少し前にリーダーを決めた。
きっかけは新しいオリジナル曲の振り付けをメンバーみんなで考えていた時だ。
次のツアーの関係でスタジオに訪れた滝沢が話し合いをしているA.B.C.に遭遇し、軽くアドバイスなどをしてやっていた中でふと思いついたようにそう提案したのだ。
それは本当にその時なんとなく思いついた程度のことだったのだろう。
特にそういう流れがあったわけでもなかったから。
とりわけリーダーがいなければまとまらない程話し合いが紛糾していたわけでもなく、むしろA.B.C.は元々皆性質が穏やかかもしくは平和主義かだから、たとえ意見がぶつかったとしても言い争いになるようなことはまずなかったし、お互いの意見を尊重できた。
そういう意味で他のグループよりもよほどリーダーなど必要としていないグループだったのだけれども、その時滝沢がそんなことを言ったのに対してやはり特に反論するメンバーもいなかったから、結局提案のままにジャンケンという至極原始的な方法でそれはあっさりと決まった。
こうしてジュニアのグループとしては異例のリーダーが決定し、その上全グループ含めても唯一であろう、最年少リーダーの誕生となったのだった。
「ああ、そっか。そういやそうだった」
「ちょっ、忘れないでくださいよっ!」
「いや忘れてないって」
「今完全に忘れてたでしょ!?」
「忘れてない忘れてない。で、河合はなったからには本気でちゃんとリーダー頑張ろうと思ってるわけだ?」
あ、今完全に誤魔化された、と河合は直感的に思った。
その整いすぎた美形顔にこれまた綺麗な笑みを布いてじっと見つめてくる様が、まさにそれを肯定していると思ったのだ。
けれどその笑顔のせいでそれ以上の追求はできそうもないし、そもそもそこまでする気もない。
河合は未だ僅かに釈然としないような表情をしつつも、小さく頷いた。
「ていうか、まぁ、別にそこまで言う程、なんかちゃんとやらなきゃとかって思ってるわけでも、ないですけど・・・」
「まぁな。お前は頑張りすぎると空廻るからな、そのくらいがいいよ」
「ですよね・・・でもほら、それにしたって、実際なにすればいいのかよくわかんないっていうか・・・」
河合は「んー」と小さく唸るようにして首を傾げ、残っていたケーキのフォークを刺すと、その一切れを小さく頬張る。
実際リーダーがいなくて困ったこともなかったから、今更リーダーを決めたところでリーダーとして何かすることがあるわけでもないのだ。
そもそもが適当な提案と、これまた適当なジャンケンなどという方法で決まっただけのそれなのだから。
けれどそれでもなったからには、それなりに何かしたいと河合自身は考えていた。
何もグループを仕切りたいとかそういうわけではない。
一見でしゃばりにも見える河合だけれど、実際にはそのでしゃばりは自分一人が抜きん出たいという意味のそれではなく、あくまでもグループとして少しでも前に出たいという意味でのそれだった。
言うなれば、自分がではなくA.B.C.が少しでも前に進めるような、そんな何かをしたかった。
河合はA.B.C.が大好きだったから、愛していたから。
「俺には、何ができるのかな」
銀色のフォークが口元から離され、残り僅かなケーキの載った皿の縁に当てられて小さく金属音を響かせる。
それに唇から零れ落ちた呟きが混ざり、滝沢の耳にも届いた。
独特のハスキーな声は、伏目がちな目の前の表情を妙に大人びてみせる。
長い睫が薄暗い照明で陰を作るのもまた然りだ。
たとえこの場がその成人を祝うために設けた席であっても、ほんの数ヶ月前、まだ19歳の頃の河合と何が違っているわけでもないはずなのに。
滝沢は手にしていたカップをゆっくりと受け皿に置き、ゆっくりと口を開いた。
「今すぐにさ、考えなくたっていいんじゃないかな。焦ることない。そのうち嫌でも見えてくるよ。何が必要か、何をすべきか」
「でも、ほら、普段使ってない分、たまには頭使わないと・・・」
「無理してなんかしたって駄目だって。言っただろ?お前は頑張り過ぎると空廻るんだって」
我ながら毒にも薬にもならないありきたりな意見だと、滝沢自身思った。
けれど今この場でそれ以上の何かが言えたわけでもなかった。
それに河合をあまり深く考えさせたくなかったというが大きい。
河合は今「普段使っていない分たまには頭を使わないと」などと冗談めかして言ったけれども、そんなことはないのだ。
何も考えていないように明るい普段の様子の裏側で、実際にはいつも様々なことを考えていることくらい滝沢は知っていた。
こう見えて酷く周りを気にするし、気遣う性格だから、気にした分、気遣った分、まるでその分の重荷を背負うように一人抱え込んでいるのを知っていた。
正確には抱え込みたいわけではない。
むしろそんな重いものはすぐに吐き出したいだろう。
けれど吐き出し方を知らないのだ。
人の好意には素直で従順だから、そういう相手には甘えもするしわがままも言うけれど、その反面負の感情が、そうと感じるものが、酷く苦手だから。
相談はするのもされるのも得意ではなくて、勝手に一人で考え込んで、勝手にその渦にはまりこんでいるのも知っていた。
決して弱くはないから、いつもそれなりに自分自身の答えは導き出しているようだけれども、その一人で出した答えがいったい河合自身にどんな影響を及ぼし、どんな風に心に積もり重なっているのかは滝沢も知らない。
それを自分で表に出して相手に伝える術を河合はまだ知らないのだ。
それ程器用ではないし、大人でもなかった。
子供は皆大人になりたがるものだ。
早く大人になりたいと願うものだ。
だとしたら河合はやはりまだ子供なのだろう。
思えば河合はずっとずっと、早く大人になりたいと言っていた。
いつだって曇ることを知らない星のような煌く瞳で空を真っ直ぐに見上げて、強く強く願っていた。
だって大人にならなければ守れないから、そうでなければ一緒にいられないから、と。
「でも、河合」
「はい?」
「俺は、お前がリーダーでよかったって、思うよ」
「えー、マジっすか?お世辞じゃなくて?」
「お前にお世辞なんか言ってどうすんだよ」
「あはっ、だってなんか、お祝いに含まれてんのかなと」
そう言って顔を崩し、白い歯を見せて笑う顔は未だ幼い。
真顔になれば年上のメンバー達よりもよほど大人びた容貌になるけれど、そうやっているとやはり上から愛情を注がれて育った者特有の空気を感じる。
実際にはこう見えてしっかりしているし、仕事の上での責任感と度胸もあるし、何より自然と輪の中心にいるような雰囲気を持っているからこそ、案外リーダーというポジションは向いているのではないかと滝沢は本気で思っていた。
けれどそれでも、その反面で思うのだ。
河合は今まさに大人になっていくその過程の中で、その笑顔を忘れずにいてくれるだろうかと、妙な感傷と共に、そう、思うのだ。
上等なベロアのスーツを着て、さっきはワイングラスを傾けていたような相手に今更思うことでもないとは感じるし、それは単に自分がそうであって欲しいと願っているだけなのかもしれないとも思う。
「・・・でも、なんか嬉しい、かな」
「嬉しい?」
「滝沢くんもそう言ってくれるなら、ちょっとは自信つくかも、って」
河合はついこの間19歳から二十歳になった。
変わらないものなどないと知っているのに、それでも願うのだとしたら。
変化の先にあるものをもしかしたら恐れているのかもしれない。
本来人形のように整った顔をふにゃりと惜しげもなく崩して笑う、その稚い笑顔が、いつか・・・もしかしたらたった今もその裏側で、何か違うものに変わろうとしているのなら、そうなろうと自らしているのだとしたら。
「みんなもね、おんなじこと言ったんですよ」
「みん、な?みんなって・・・?」
反射的に返した問いは直感的なものでしかない。
訊かずにはいられなかった。
滝沢がその時思い出したのは、あの時、他愛もないジャンケンで、一人だけパーを出した河合を後目に揃ってグーを出した三人のこと。
何も示し合わせたわけではもちろんないだろう、どこか驚いたような顔でお互いを見ていた。
「みんなはみんなですよ。みんな」
男にしては妙につやつやといつも赤い、そのぽってりとした、目を惹かずにはいられない唇。
乾いたのか、それともケーキのチョコレートがついているのに気付いたのか、舌で舐めたらしいそれは妙に濡れて薄暗い照明に光ってはやんわり撓み、そう呟くように繰り返した。
フォークに突き刺されたままの、あと一切れ残されたケーキをもはや放り出したまま。
「みんな、みんな・・・俺でよかったって、言ってくれて」
それは思いつきのような提案で、適当なジャンケンで、特別何かが変わったわけではないと思っていた。
少なくとも滝沢はそう思っていた。
けれどそれは違ったのかもしれないと、たった今、思った。
あの時確かに何かが動いて、そして河合は二十歳になって。
いったい何が変わったのだろう。
何が変わろうとしているのだろう。
未だ幼さの抜けない笑顔と、反面の強い意志を秘めた瞳は。
「滝沢くん、ほんとにありがとうございました。あとは自分で頑張ってみます。・・・あ、もちろん頑張り過ぎない程度に!」
「うん・・・そうだな。なんか、あったら、また言えよ?」
「はいっ。その時はまたご馳走してくださいねー。リーダー報告しますんでっ」
「こんな豪勢なのはもうないけどな」
「あ、やっぱり」
そう言って大袈裟に肩を竦めてみせた様は、無邪気で悪戯っぽくて、やはり子供のようで。
けれど所詮この店を出たら、自分の前から去れば、その後姿さえも見えなくなったら、その後のことなんてわかりはしない。
滝沢は漠然とそんなことを思って、すっかり冷めた紅茶にもう一度口を付けた。
店を出て滝沢と別れると、河合はゆっくりと駅の方へと歩き出す。
スーツの袖を軽くめくって腕時計を見る。
割と早い時間に待ち合わせたおかげで、まだ電車にも余裕があった。
眩いネオンと喧騒の中をぼんやりと夜空を見上げて歩く。
都会はあまり星が見えない。
河合の地元は割と田舎だし裏が山ばかりだから、ここよりはもう少しマシなのだけれども。
人工的な光に邪魔されて星の輝きはどこかくすんでしまう。
それでもその光を見つけようとうっすらと目を細めると、ふとスーツのポケットが振動した。
視線を手元に戻してそこから携帯を取り出し、ディスプレイを開く。
河合は目を細めたままそこで立ち止まり、一拍程度それを凝視してから耳に当てた。
「・・・あ、もしもし?・・・うん、だいじょぶ。ちょうど今帰るとこ」
耳に携帯を押し当てたまま再び歩き出す。
駅へと向かう途中の繁華街のネオンにその横顔が照らされる。
携帯を持ったのとは逆の手で、夜風にふわりと舞った柔らかな髪を撫で付けるように触れた。
するとその拍子、その手首にしていた細身のシルバーブレスレットが小さく音を立て、ネオンの光を弾く。
「んー、まだ電車あるよ、うん。・・・だいじょぶだって、ご飯食べただけだから、まだまだ元気だよー」
そう言ってクスリと笑った横顔もまた同様に照らされる。
けれどその笑顔は夜の灯りに照らされているからなのか、それともその笑顔自体が違うものだからなのか、それはどこか夜の匂いがした。
「・・・うん、いいよ」
電話向こうの相手の言葉に頷くようにそっと漏れた、ハスキーでどこか甘い声。
ちょうどそのすぐ傍を通った、河合より少しだけ年上程度の女性がチラリと盗み見るようにしてその横顔に視線を送り、そのまま通り過ぎていく。
上等なベロアのスーツに身を包み、整ったその顔を綺麗に笑ませた表情、そして掠れたような何かを含んだその声は、いったいどんな風に見えていたのだろう。
「今日は、塚ちゃんなんだ?・・・うん、わかった、今から行く」
そこで切られた電話。閉じられたディスプレイ。
河合は暫し携帯をその小さな手で握り締め、そこにじっと視線を落としていた。
それからもう一度だけ夜空を見上げ、小さく息を吸い込むと、再び駅の方へと歩き出す。
ただし乗る電車は逆方向だ。
これからどこへ行くのかなんて、今の河合にはわからなかった。
NEXT
今回は見事にタッキーお兄様しか出てきませんが、たぶん次回以降メンバーも出るかと。
次はまぁ塚ちゃんかな。
これ以上続き物増やしてどーすんだって話ですが、これは私的にかなり妄想滾ってるのでつい我慢できず。
五河というか戸河というか塚河というか、一番正しくはエビ河っていう。
わとさんは基本グループ内総受け嗜好ですが、いつの日も「取り合い」よりも「共有」が好きなんです。つまりはそういう話だ!
だって取り合いより共有の方がタチ悪いっていうか歪んでるっぽくてな・・・萌えてしまうんだな・・・。そういう話です・・・。
(2008.2.5)
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