1.君は知らない










「ごーせーきーくー・・・・・・いたっ」

部屋の扉を騒々しく開けて駆け込んだきた河合は見れば軽く息を切らせていた。
けれどベッドの上であぐらをかいてゲームをしていた五関はそちらをちらりと一瞬見ただけで、手を止めることもなく再び視線を手元の液晶に落とす。
河合はそれでも特に気にした様子もなくそちらに駆け寄っていくと、軽やかにそのベッドに飛び乗り、その隣に陣取ったかと思うと身を屈めて五関を窺うように覗き込んだ。
大きく鋭い瞳がパチパチと瞬いて一心にその顔を見つめる。

「ねぇ」
「んー?」
「あのさぁ」
「んー」
「これからさ、ご飯食べいくんだけど」
「うん」
「トッツーと塚ちゃんと、あと藤ヶ谷と北山も」
「そうなんだ」
「行くよね?」
「ん?」
「五関くんも行くよね?」
「んー、遠慮しとく」
「なんでだよ!」

つれない返事に眉をムッと寄せて途端に抗議する河合を後目に、五関は依然として手元の液晶に夢中だ。
その意識はおろか、視線すらもそちらに行ったまま。
それがどうにもつまらなくて何とか気を引こうと河合は口を尖らせる。

「五関くん付き合い悪すぎ」
「んー、そうでもないだろ」
「あるって!・・・だいたい、じゃあご飯どうすんの?一人で食べんの?」
「ああ、さっき軽く食べちゃったから」
「さっきっていつ」
「2時間くらい前」
「もしかしてそれで夕飯終わりなの?」
「あんま腹減ってないし。今日公演なかったから」
「・・・・・・なんか、あれだよね」
「なに」
「五関くんおじいちゃんみたい」
「なんだそれ」

さすがにその言葉には呆れたのか、五関は緩慢な動作で顔を上げてそちらを見る。
河合はようやくその意識と視線がこちらに向いたのに満足したように小さく笑うと、ニヤっと唇の端を上げた。

「なんかさー、食事は一日二回でいいです、みたいな?寝るのも早いし!」
「だからなんだよ」
「だからおじいちゃん!」
「意味わかんないし」

自信満々でそんなことを言い切られても、と五関は再び呆れたように息を吐き出すと、さっさと視線を液晶に戻してしまった。
そのつれない態度は何も今日だけのことではないのだけれども、なんとなくいつもより少しだけ、恐らくそれは河合の感じ方の問題なのだろうけれども、いつもよりそっけない気がする。
河合はつまらなそうに眉根を寄せると、五関の真似をするように同じくあぐらをかいてみせる。

「俺には五関くんがわかんないけど」

それは何も拗ねているだけではなくて、本当のこと。
確かに相手は年齢自体二つ上だけれども、それにしたってそれ以上の差を感じずにはいられない。
そもそも五関はついこの間成人したばかりだというのに落ち着きすぎているのだ。
最早そこには妙な貫禄すらある。
自分がこれだけ態度に示しても、平然とした態度でさらりとかわしてみせるその様。
それこそが五関らしさで、言ってしまえばそんな所が自分にはまるでないもので、河合は好きだと思うのだけれども。
それにしたってやはり限度がある。

「お前はわかりやすいけど」

五関は河合の方など一瞥することもなく、小器用に指を動かしながら落ち着いたトーンで呟いた。

「・・・なんだよそれ」
「言葉通りだけど」
「じゃあ、ほんとにわかってんの?」

きっと五関からしてみれば自分は子供なんだろう、と河合はいつも思う。
実際二つ年下で、それ以上に五関は妙に落ち着いている反面、河合は落ち着きがなく騒がしい。
殊仕事に関しては後れを取っているつもりはないし、よくコンビを組んで行うアクロバットでは息もぴったりで、自惚れでなければ五関も信頼してくれている。
けれどプライベートではやはり実感してしまう、この歴然とした差みたいなもの。
河合はいつだって前向きでいたいと思っているし、実際いつだってそう努力はしているけれど、自分の力だけではどうにもならないことだってあるのだ。
たとえば、いつからか抱いてしまったこの気持ちとか。

「ほんとに、って?」

河合の視線を一身に受けるその横顔はぴくりとも動かない。

「だからっ・・・」
「だから?」
「・・・意地が悪い」
「言わなきゃわかんないだろ」

言わなきゃわからない、そう言うから何度も言ってきた。
じゃあ、あと何回言えばわかってくれるんだろう。

「好きだよ」

河合の薄くて形の良い唇から、ワンテンポ置いてそっと漏れた言葉。
プラスチックの丸いボタンに当てられていた指がぴたりと止まる。

「五関くんのことね、好きなんだよ」

何度も言って、何度でも言って。
それでいつかわかってくれるなら、何度だって言う。

「・・・・・・河合」

深い、ため息。
その落ち着いたトーンで名前を呼ばれるのが好きだ。
どうせなら、滅多に呼ばない名前で呼んで欲しいなとも思うけど。
でも、好きだけど、ちょっとだけ悲しいな、苦しいな、と河合は感じた。
だってその口調がなんだか困ったような響きを確かに含んでいたから。

「俺はさ」
「うん」

五関は携帯ゲームをその場に置いて、河合の顔をじっと見据える。
もう慣れはしたけれども、間近で見れば改めて思う、その鋭く意志の強そうな黒目がちな瞳。
そのくせ妙に幼げにじっと見つめてくる。

「お前が望んでるものとか、望んでる言葉とか、気持ちとかさ、」
「うん」
「たぶん、ちゃんと返してやれないから」
「・・・うん」
「だから、そういうのは・・・やめといた方がいい」

好きな人を苦しめたいわけじゃない。
でも五関はずるいと思う。
そんな風に優しい調子で宥めるみたいに、大人が子供にするみたいに、言うから。
嫌なら嫌とはっきり、手酷いくらいにきっぱり言ってくれればいい。
同じグループの仲間である以上それはできないことなのかもしれないけれど。
でもいつまでもいつまでも、この生殺しは辛すぎる。

「・・・ふぅん。そっかぁ」

河合は俯いてぎゅっと唇を噛む。
自然と翳る繊細な面立ちと、その堪えるように握られた右手に、五関は目を細めるとそっと手を伸ばす。
その手が河合のふわりとした茶の髪に触れる寸前、それを遮るように、俯いたその顔とは対照的な妙に明るい声が響いた。

「五関くんはさー」
「・・・うん?」

触れる寸前だった手を何となく止め、引っ込めて。
五関は小首を傾げる。

「年上だし、大人っぽいし、ダンディだし」
「ダンディは違うって、だから。ファンの子が言い出しただけだし」
「物知りだし頭もいいし、知的キャラっていうの?いいよねー俺なんてどうせバカキャラだもん」
「バカってよりお前は騒がしいんだよ」
「・・・でもね、わかってないよ」

俯いていた顔を上げた河合はその整った顔に随分と無邪気で綺麗な笑みを布いて、普段と変わらぬ調子で言った。
いつもくだらないことばかり言って騒いで、バカだなと周りから呆れ交じりで笑われるような。
そんな自分で溢れそうな感情を努めてコーティングして。

「なんかさ、そういうちゃんとした見返りが欲しくて、言ってるわけじゃない」
「河合、」

五関が再び手を伸ばして、今度はその細い腕を掴もうとするのをかわすように、河合はベッドに乗り上げた時と同じように軽やかな動作で飛び降りた。
まるで掴みきれなかった残像に目で追うように、五関は身動き一つせずそちらを凝視する。

「うん、じゃあ、俺そろそろ行く。塚ちゃん達待ってるだろうし」
「・・・・・・あんまり、遅くなるなよ?」
「うん、わかってる。でも五関くん寝るの早いからなぁ、もう俺が帰る頃にはベッドの中なんじゃないの?」

なんだか楽しげにそんなことを言う顔には悪戯っぽい笑みが浮かんでいる。
けれど五関は苦々しげな表情で少しだけ低く呟く。

「お前が帰るまでは起きてるよ」
「・・・べーつに、さぁ?」

河合はふふっと軽く笑って身を翻し、ジーパンの後ろのポケットに入った財布を確かめながら言う。

「無理しなくてもいいよ。だってしょうがないもんね」
「・・・無理?」
「そう、無理とかいらないから」
「何が無理って?」
「んー・・・もう、なんでもいいじゃん。ていうか五関くん結構勝手だよね、自分であんなん言っといてさ」
「いいから、ちゃんと言えよ」
「やだよ」
「郁人」
「・・・ほんと、ずるいな。さいあく」

その顔が一瞬だけ振り返って、笑って、歪めて、また笑って。
けれどそれ以上は何も言わずにさっさと部屋を出て行ってしまった。



五関は一気に静まりかえった部屋の中、深くため息をつくと、手持ちぶさたになってしまった右手をゆるりと開いてみる。
そこには沢山の見えないしがらみとか、縛り付けてくる理性とか、恐れとか、様々なものが見えるのだ。
決して河合には見えないだろうそれ。
決して見せないようにしているそれ。

「ずるい、か」

一人自嘲気味に呟く。
確かにずるいんだろうな、と五関はよく判っている。
こうしている限り、その真っ直ぐな宝石みたいな瞳は自分から僅かにも逸らされることはない。
その笑顔は自分にだけ花のように綻ぶ。
自分は止めておけ、だなんて。
本当は心にもないセリフを平然と吐ける自分はきっと酷い人間なんだろう。
こんな人間に好きだと繰り返す河合がいっそ哀れに思える程に。
そうしてずっとずっとずっと、自分だけしか見ないように、ずっと追いかけさせようだなんて。
そんなことは無理に決まっているのに。
自分にはそんなにも愛されている自信があるのだろうか。
そう考えると少しだけ滑稽で笑えてくる。
けれどその気持ちを受け入れないことが、つまりは自分のそんな何処か昏い願望に繋がっているとしたら。
確かにずるいことこの上ないだろう。

「・・・好き、なんてもんじゃない」

この執着は。
そう言ったらお前はどんな顔をするだろうな、と五関は疼く胸をその右手で押さえるようにしながらベッドに転がった。










NEXT






BACK