2.ずっと待ってる
ツアースタッフから教えて貰ったその店の料理は、確かにとても美味しかったのだけれども。
「・・・河合ー、すごい顔してるよ?」
ホテルのロビーを俯きがちに歩いていた河合は、はっとして声の主を見る。
そこにはきょとんと不思議そうに覗き込んでくる戸塚と、さらにその向こうには笑顔ながらどこか呆れた様子の塚田がいる。
そんなに顔に出ていただろうかと内心ばつ悪かったけれど、河合は聞き流そうとした。
「んー、なんでもないよ」
「そう?なんかさっきからずっとそんな感じじゃん?」
「そんなことないって。ないない」
「そうかなぁ」
「でも実際なんか暗いよね〜河合ちゃん」
横から割り込んでくる塚田に軽く唇を尖らせる。
「ちょ、塚ちゃんなに?別に暗いとかそんなことないってっ」
「えー、だって顔が暗いし、雰囲気も暗いし、なんかもう全体的に暗いんだもん」
「どこがだよー。別にフツーだって」
「ふ〜ん?それがいつもバカがつくくらい明るい河合ちゃんの普通なんだ?」
さりげなく容赦ないその物言いにふて腐れたような顔で、河合は両手をポケットの中に突っ込む。
塚田は温厚だけれど、聡いだけにこういう時ばかりは逃げ道を作らせてくれない。
「うるさいなぁ・・・バカとか余計だし」
ちらっと戸塚の方を見てなんとか助けを求めるような視線を送る。
けれど戸塚はよくわかっていないのかどうなのか、一応、と言った体で河合の方に寄ってきたものの、とりあえずとおもむろに頭を撫でるだけだ。
可愛らしい雰囲気の割に大きなその手が、まるで子供にするみたいにそうするから、河合はますます眉根を寄せる。
「ちょ、トッツーなに?」
「お腹いっぱいで調子悪いの?ご機嫌ななめだねー」
「・・・フツーだって。フツー。ていうかご機嫌は別にななめじゃないから」
「あのさ、藤ヶ谷と北山も心配してたよ」
「・・・なんでだよ」
「なんでって・・・」
これまたふて腐れた調子で言われて、戸塚は少し困ったように「うーん」と考えている。
自分としては努めて普段通りに喋って騒いでいたつもりだというのに。
結果的には同じグループの二人どころか、違うグループの二人にまで感づかれていたということだ。
確かに藤ヶ谷と北山だって付き合いは結構長いしよくつるむから、それは不思議なことではないのかもしれないけれど。
自分では大丈夫だろうと思っていただけにますますばつが悪い。
戸塚の言葉をフォローするように、笑顔のまま塚田が言った言葉はまたさりげなく容赦がなかった。
「まぁ、北山は心配してたってより『またかよ』って感じだったけどね」
「あー・・・そうなのかなぁ」
「あのやろー・・・」
いちいちそそっかしい藤ヶ谷にああだこうだと容赦なく言いながら、そのくせ他の人間が手を出す隙もないくらいになにかれと面倒を見ていた、あの口の悪い童顔を頭に浮かべて河合は小さく舌打ちする。
どうせ今頃同じ部屋に帰っていちゃいちゃしてるのかと思うとなかなかに腹が立つ。
ああ、自分だってどうせなら・・・。
「・・・河合ー、顔ますますひどいことになってる」
「藤ヶ谷と北山に妬いたってしょうがないじゃん。そもそもが北山と五関くんを一緒にするのに無理があるよ」
「だ、誰も言ってないよ!なんだよいきなり!」
「だって河合顔に出てるよー。いいなーって」
「でもやっぱりちょっと無理があるよねぇ」
「うるっさいなー言ってないってば!」
ああなんでこの二人の言葉でこんなに苛立つんだろうか。
この程度はいつものことなのに。
別に自分と五関の関係を藤ヶ谷と北山のようにしたいわけではないのだ。
ただ、さっきの自分達と比べるとあんまりにも落差があって、羨ましく思ってしまうのは事実で。
小さくため息をついて腕時計を見る。
予定よりも少し遅くなってしまった。
五関は言った通りまだ起きているだろうか。
さすがにあんなやりとりをした後では河合も帰りづらい気持ちがあった。
どうせいつも通りに戻っているんだろうとは判っているのだけれども。
だからこそ、自分が何度も何度も同じような言葉を繰り返したとしても決定的な亀裂も入ることなく今までやってこれたのだから。
けれどそろそろそれも辛くなってきた。
なんだか今日は部屋に戻りたくない。
「・・・ねぇ、塚ちゃん、トッツー」
「んー?」
「なに?」
「あの、さぁ・・・」
河合はなんだか窺わし気に二人を交互に見ると、小さく両手を合わせて気持ち上目で言った。
「今日さ、二人の部屋に泊め」
「だめだからね」
「うん、そうだね」
「なんでだよー!!まだ言い終わってないのに!」
即答もいいところだ。
塚田は本当にこうと決めたことには容赦がないし、戸塚も優しそうに見えて意外とあっさりとひどい時がある。
・・・この場合、何も向こうがひどいだけではないかもしれないけれども。
河合はとりあえずこの現状を何かのせいにしたくてしょうがなかった。
ふて腐れるのを超えて既に拗ねたように俯きがちな河合を見て、塚田は仕方なさそうにもう一度頭を撫でてやると、ニコリと笑って顔を覗き込んだ。
「きっと五関くん待ってるよ?」
「・・・寝てるって」
「いやー起きてると思うなぁ」
「・・・なんでトッツーにわかんの」
頭を撫でてくる塚田の隣でさも当然のように言う戸塚を、河合は軽く唇を尖らせて見やる。
けれどそんな視線も意に介した様子はなく、戸塚は愛らしい顔をにこっと緩めて笑ってみせた。
「五関くん、河合には優しいもん」
「どこが・・・」
「あれ、わかんない?」
「知らないよ!」
「えー、そうなの?ねぇ塚ちゃん、わかんないかなぁ?」
「あはは、まぁ河合ちゃんにはわかんないかもねぇ」
「なんなんだよ二人して・・・」
この笑顔の愛らしい同い年コンビは河合からしてみればどうにもマイペースで、その独特の調子についていけないことがある。
そもそもが五関も含めて、このグループのメンバーは思考形態が自分と違いすぎると思う。
だから河合にはわからないことだらけだ。
そんな風に当然のように言われたって、わからないものはわからないのだ。
だって誰も教えてくれないから。
五関は決して教えてくれないから。
「わかんないよ」
伏せ目がちになった瞳を彩る長い睫がどこか心細げに瞬く。
自分は止めておけと、そう言われてなお、あと何をどう判れというのか。
そんなどうしようもない想いを勢いのままぶつけても、拒絶だけはしないでいてくれることこそが、その甘さなのだとしたら。
もうそんなものはいらないのに。
「・・・もう、しょうがないなー」
塚田は大きくため息をつくと、ポケットからとりだした携帯電話のボタンをいくつか押すと耳に当てた。
それを訝しげに見る河合を後目に、戸塚は塚田が誰にかけているのかわかっているのかニコニコと見守っている。
数秒して、着信が繋がったのか塚田が喋りだす。
その口調はいつもと変わらず砕けていて、その相手が親しい人間なのだとわかった。
「・・・あ、もしもし?まだ起きてた?ん?当たり前?・・・まぁそうだよね〜。
・・・あー、うん、今帰ってきたとこ。
ロビーにいて・・・遅いって言われてもさー、しょうがないじゃん。ご機嫌ななめだし。
だいたいそっちが悪いんだよ?いちいちめんどくさいことにしてさ〜・・・・・・ああ、うん、わかってるって」
河合はパチパチと目を瞬かせて小首を傾げる。
けれど次に言った塚田の一言で自ずと判ってしまった。
「でも今日は部屋帰りたくないんだって。
俺らの部屋に泊めてくれとか言い出してるんだけど〜」
「ちょ、塚ちゃん!それっ・・・」
途端に慌てる河合の肩を宥めるように叩く戸塚に、言おうとした言葉はグッと飲み込まれてしまう。
でも、何も電話なんかしなくても。
これじゃ完全に拗ねた子供と同じだ、と河合は薄い唇を尖らせる。
実際、少なくとも塚田にとって今の河合は拗ねた子供なのだが。
ちらちらと河合を見ながら電話を続ける塚田は、相手の言葉を「うんうん」と盛んに聞きながら、時折呆れたように曖昧に笑う。
電話向こうで五関はなんと言っているのだろう。
河合は落ち着かなくてしょうがなかった。
「・・・あー、はいはい、うん、わかったよ、・・・ていうか迎えに来ればいいのに。
・・・はいはい、うん、じゃあね〜。また明日」
ようやく電話を切った塚田は再びポケットに携帯を突っ込むと、河合に向かっておもむろにエレベーターの方を指し示してみせた。
「早く帰って来い、眠いから、だってさ〜」
河合はぽかんと口を開けた。
固まったように塚田の顔とその指の先とを何度も交互に見る。
その様がおかしかったのか、それともそんなことを言った電話向こうの五関を想像するとおかしかったのか、塚田はついに声を上げて笑う。
戸塚はそんな塚田にきょとんとしていたけれど、事態がよい方に動いたと感じたのか、ニコニコと河合を見ている。
咄嗟にどう反応していいかわからなくて、河合はうろうろと視線を彷徨わせた。
「なに、それ、なんだよ・・・眠いんなら、さっさと寝ればいいじゃん・・・」
「あ、可愛い河合ちゃんが傍にいないと眠れないのかも!」
「あーなるほど!慣れた枕みたいなもんだね塚ちゃん!」
「そういうこと〜」
「ちょ、塚ちゃん!そんなわけないじゃん!トッツーもなに言ってんの!」
「いいからいいから、早く帰りなよ〜」
「そうそう、待っててくれてるんだし」
「ぐ・・・」
どうにもならなくてついには言葉に詰まる。
でもとりあえず何か言わなくては、そう思って河合はとりあえず苦し紛れで二人に向かって呟いた。
「・・・・・・じゃあ俺帰るけど、二人とも、明日寝坊すんなよ」
しかしそれには二人揃っての笑い声が返ってきただけだ。
「あはははは!河合ちゃんはしっかり者だね〜」
「大丈夫!俺は明日こそ塚ちゃんより早く起きるという崇高なる使命があるからっ!」
「・・・あっそ。あっそー!じゃあね!」
河合はそう言い捨てると、まるで逃げるようにエレベーターに飛び乗った。
運良く自分だけしか乗っていないその箱の中。
その場にしゃがみこむと、膝に顔を押し付けて、部屋のある階に着くのをただ待った。
「・・・・・・待ってんのは、こっちだよ」
くぐもった声は、不安と緊張と胸の高鳴りと共にあって。
河合の白い耳をうっすら染めては、狭いそこに消えた。
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(2006.5.10)
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