子猫のキズはどんなキズ? 4
「あ〜あったまってきた」
頬を緩ませながらの間延びした声。
横尾の部屋でホットココアの入ったマグカップを両手に、河合はベッドの前に背中を預けるように両膝を立てて座り込んでいる。
身体の奥からじわじわと暖かくなっていく感覚に、ホッと息を吐く。
そんな中、横尾は河合に背を向ける形で何やら黒い棚を漁っていた。
何度も横尾の家に遊びにきたことがある河合は、それが下着やインナー類を入れた棚だということを知っていた。
これから着替えでもするんだろうかと思いながらマグカップをすすっていると、横尾はそこから黒いジャージの上下を取り出して振り返る。
「ほら、これ着替えとけよ。いつまでも衣装じゃなんだし」
言いながら放られたそれを受け取ることはできなかった。
両手が塞がっていたからだ。
河合はもうほとんど中身のないマグカップを向こうのテーブルに置いてから、改めて放られたジャージを手に取る。
「あー、ありがと。んじゃ、お言葉に甘えてー」
そうして家に着いてからも未だ着ていた豪奢な衣装をようやく脱ぎにかかる。
裾の長い黒の上着を脱ぎ、下の黒いパンツを脱ぎ、中の白いフリルシャツにのボタンにも手をかけた。
その中で河合が何気なく横尾の方を見ると、デスクの椅子に腰掛け、煙草に火を付けながらどこかぼんやりとこちらを見ている。
一瞬口を開きかけたけれど、河合は敢えてそれを止めて着替えを続けた。
シャツも脱いでインナーのタンクトップと下着だけの姿になると、改めて借りた黒いジャージを手に取る。
まず最初は下を履こうとしたのだけれども、その時点で河合ははたとしてそれを床に戻した。
それから今度は上着を手に取ると、軽く眉根を寄せながらおずおずと袖を通してみる。
そこで軽く漏れるため息。
「・・・・・・やっぱりなー」
「は?どした?」
「わかってたことだけどさー・・・」
「だからなんだよ・・・・・・って、ああ、そっか・・・」
始めは何事かと不思議そうな顔をしていた横尾だったけれども、河合が両腕に袖を通して前のジッパーを閉め、捲れていた裾を両手で直したところでようやく気付く。
その小柄な手、もはやその細い指先までもほとんど覆ってしまっている袖。
そして同様に細い太股の辺りまで容易に覆ってしまっている裾。
「サイズ違いすぎてへこむ」
河合は依然として眉根を寄せながら、せめてと袖を肘の下辺りまで捲り上げている。
それには少し気まずそうな顔で横尾が煙草を燻らせながら呟いた。
「や、まぁ、しょうがないだろ・・・タッパが違うしな・・・」
「そうなんだよなー・・・。でもって、タッパ以上に股下の違いが・・・あーあ・・・」
ぼやき混じりで呟きながら、未だ履かれず放られている下のズボンを見る。
そう、下を履けば上以上に違いを思い知らされるのは目に見えていた。
河合のスタイルが悪いというよりか横尾のスタイルが良いのだ。
その身長にそのスタイルはまさにモデル体型と言えるだろう。
デスクの椅子にゆったり腰掛けて投げ出されているその長い両脚にチラリと視線をやって、河合はもう一度ため息をついた。
「脚長いといいよなー、やっぱ。パンツもキマるしさ。何よりジーパンの裾上げいらないとかさ・・・はああああ・・・」
しみじみと呟かれる言葉と深い溜息には、横尾もなんとなく言葉を挟みづらかった。
そうだとも、もしくはそうでもないとも言えない。
どちらをどう言っても恐らく今の河合が噛みついてくるだろうことは判っていたからだ。
横尾はなんとなく視線を逸らしがちに煙を吐き出す。
「ま、今更なんだけどさ」
河合はそんなことを一人呟くと、下のズボンは履かずに畳んで脇に置いてしまう。
しかしそれを視界の端に見て取って、さすがに横尾は口を挟まずにはいられなかった。
「おい、履けよ」
「だってだぼだぼだもん、どうせ」
「捲ればいいだろ」
「やだ、捲ってると暑いし。それ以上に自分の短足思い知らされてやだし!」
「だからってお前・・・」
そのままでいる気かよ。
続けられなかった言葉の先、横尾の視線は相手にとってだいぶ大きなジャージの上着の裾から伸びた、その脚につい向いてしまう。
すらりとした細い両脚がそこから露わになっていて、無造作にフローリングの床に投げ出されているのだ。
別に男同士だし、着替えを見ることもしょっちゅうだし、見慣れていると言えばそうなのだけれども。
そうやって大きな上着から覗いた状態というのは、どうしてまるで違って見えるのだろうか。
なんとなく、目のやり場に困る。
そんなことを思って何気なく視線を逸らしてしまった自分にまた妙な気まずさを覚えて、横尾はまだ十分残っていた煙草を灰皿に無造作に押しつけた。
「・・・あー、俺も着替えよ」
横尾はわざとらしくそう呟いて立ち上がると、先程と同じ棚から違うジャージを取り出す。
着ていたシャツのボタンを外し、勢いよく脱いで放った。
それからジャージの上を着るその前に、ブラックシルバーのネックレスを外そうと両手を首の後ろに回す。
金具の部分を長い指先が忙しなくいじるけれど、なかなか上手くいかないのか、ネックレスが外れる様子はない。
「くっそ・・・とれね・・・」
段々と苛ついてくる。
そして苛つけば余計に手先は上手く動かない。
それを後ろから座って見ていた河合は、それに軽く呆れたように笑った。
「ほんとお前ぶきっちょだなー」
「うっせー。コレ元々やりづらいんだよ」
「はいはい、俺がやってあげよっかー?」
「いいよ。もうすぐとれ・・・ねぇ・・・・・・あー、もう!」
元々器用とは言い難い上に短気な横尾なので、こうなってしまえば自分で外すのは無理に近い。
「だーから、俺がやってやるって」
案の定な様に今度は高いトーンで笑うと、河合は立ち上がって近づいてきた。
「こういうのはさ、コツがあんの」
なんだか楽しげに言いながら横尾のすぐ後ろに来ると、河合はその細い指先を伸ばしてネックレスの金具を爪先でいじる。
すぐ背中に確かにあるその体温を感じて、横尾は小さく息を吐き出した。
けれどそれを後目に河合はなおも楽しげに指先を動かしては言葉を続ける。
「んー、もうちょっと・・・こう、して・・・・・・はいっ、外れた!」
「お、ありがと」
首からするりと外れたネックレスを片手で受け取り、横尾はそれをデスクの方に放る。
金属の小さな音が聞こえ、それから上着を手に取ろうとした時だった。
未だ背中にある相手の体温。
そしてそこからひっそりと聞こえたハスキーな声。
思わず動きを止める。
「・・・ここ、結構痕になってんね」
横尾は小さく息を飲んでしまった。
今ネックレスを外してくれたその細い指先が、背中のあの傷に触れたのだ。
その指の腹で細く長いそれを辿るように、なぞるように。
「ごめん、痛い?」
まるで癒そうとでもするかのような優しい動きだ。
けれどその辿々しくも確かな熱を持った指先の動きは、横尾にとってみればもはや癒しなどではなく、むしろその痕にますます熱を与えるものでしかなかった。
それは肩胛骨の辺りに生々しく感じる吐息によって余計に助長されてしまう。
横尾は軽く顔だけで振り返るようにしながら、呟くように訊ねた。
「・・・お前、これ、わざと?」
どうしても我慢できずについやってしまったというのなら、別にそれはそれで構わない。
相手の立場からすればそれはしょうがないことだし、むしろそこは自分が考えてやらなければならない部分だ。
けれどそうではないのだとしたら・・・話はまた違ってくる。
そんな横尾の問いに、河合はじっと見上げるようにして視線を返す。
そして視線を合わせたままに、顔を更に背中の方に近づけて、呟いた。
もはや喋るだけで息が触れてしまう距離で。
「どうだと思う?」
そう言って、言葉を紡いだその唇が、ついには横尾の背中に触れた。
まるでその傷跡に口付けるように。
指先など比べものにならない程に熱くて、柔らかくて、奥底の衝動を引きずり出そうとするような感触だった。
触れた瞬間にそっと閉じられた瞼、その瞬いた長い睫が瞳に焼き付く。
「かわい、」
乾いた喉の奥から絞り出すようなその声。
それを耳に、河合はもう一度じっと横尾を見上げ、今度はその強い大きな瞳をうっすら細めて目の前の大きな背中に唇を寄せた。
「舐めたら直るかな」
「っ・・・」
今度は熱くて濡れた感触。
まるで猫のように動く生々しいその舌の感触に、横尾は一度大きく息を吐き出した。
そしてようやくの反撃とばかりにその長い腕を一気に後ろに回し、細い腕を掴んで自分の前に引き寄せる。
唐突なその動きに河合は少し驚いたようだったけれども、特に文句は言わずされるがままだった。
横尾は腕をギュッと掴んだまま軽く目を眇めて見下ろす。
「それ、わざとって受け取るぞ」
「・・・怒った?」
「ていうか、なんで。理由は」
「んー・・・ないしょ」
「なんでだよ」
「考えたらわかるじゃん?」
「はぁ?わかんねーから訊いてんだろ」
「・・・じゃ、わかるまで考えてよ」
河合は軽い調子でそう言うと、横尾の脇をすり抜けて向こうのベッドに向かおうとした。
けれど背を向けた瞬間、後ろから長い両腕に捕らえられてしまう。
その強くて暖かい感触に一瞬息が詰まった。
「っよこ・・・」
後ろから強く抱き竦められるような感触。
そしてそこから微かに鼻をつく煙草の匂いに、振り返ろうとしたけれどそれはままならなかった。
まるでさっきの意趣返しのように耳朶をねっとりと舐められて、囁かれた声。
「・・・そんなら、無理矢理吐かせる」
後ろから廻って手の片方が、囁きと共に何気なく河合の剥き出しの脚を撫でるように滑る。
そこには赤い鬱血したような痕がいくつかあった。
つい一昨日その薄い唇につけられたものだ。
大きなその手の慣れた感触に否応なく先を予感して、河合はそっと息を吐いた。
それでも特に抵抗はなく、ただその手に上から自分のものを重ねてうっすらと口を開く。
「そう簡単には、言わないけどね」
NEXT
まだ続いてたこの話。
そしてまだ続いてるという(どんだけ!)。
いやでも次回で最後!・・・のはず!
そして次回はいよいよにゃんにゃんですよにゃんにゃん。
ていうかもはや今回から雰囲気がアレなので直接アップにしましたよ。
いやそれにしても、わたふみのフミトはつい誘い受け気味になってしまう罠。なんでだろう。
別に渉さんの甲斐性がないわけではない・・・はずなんだけども・・・でも意外とうちの渉さん男前に見せかけて若干ヘタレのような気もするわけで・・・。
まぁそれを言うと五関さんもアレですけどね!
たぶん私がここぞってとこでフミトに攻めっこをぎゃふんと言わせて欲しいからかもしれん(なにそれ)。
みんなフミトに捕まってればいいのよ!と思ってるからかもしれん(酷い)。
河合郁人は天然魔性の萌えっ子であります。
まぁいざ本番になれば渉さんの本領発揮ですけどね!
(2007.8.12)
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