Private Nude 1
静かなアトリエには、時折漏れ聞こえる小さな衣擦れの音しかない。
白いキャンバスに筆を走らせながらゆるりと視線を動かすと、それを絡め取ろうとするようにどこか濡れた眼差しが向けられる。
けれどその視線を鬱陶しげに外し、五関はチラリと時計を見た。
筆は依然として動いてはいるけれども、それも徐々にゆっくりになっていく。
白いシーツの上にしどけなく横たわる裸体の女性に五関は眉一つ動かさず、ついには何か考えるように筆を宙に巡らせた。
その時部屋の扉を小さくノックする音がして、五関はそれを合図に筆を置いた。
白いシーツの上の彼女はあからさまに不満げな顔をしたけれど、文句を言う暇はなかった。
「どうぞ」
あっさりとそう言った言葉に、扉が静かに開く。
入ってきたのはスラリとした長身の男。
顔の造り自体はそれなりに整ってはいるが、その驚いた表情が見るもきょとんとどこか幼げで、五関は思わず小さく笑ってしまった。
しかし相手はそれに少しだけ嫌そうな顔をして、ため息混じりで肩を竦める。
「・・・最中なら最中って言ってよ、もう」
「いいよ。他ならぬ藤ヶ谷だし」
「よく言うよ・・・」
五関の性質をよく知っているからこそ、そのわざとらしい台詞に辟易する。
仕事の最中を邪魔されるのは何よりも嫌うくせに、そんなことを言う。
つまりは興が乗らない証拠だ。
それ自体は本人の自由だろうけれども、乗らない仕事を切り上げる口実に自分を使うのは止めて欲しい。
向こうに横たわったまま、けれどどこか不満げに五関を見ている裸体の女性。
特に文句の付けようのない美女だと思う。スタイルもいい。
しかし藤ヶ谷は咎められぬ程度に彼女をチラリと見ただけでも、確かに五関が興に乗らない理由がわかってしまった。
そして彼女がこれ以上描かれることはないのだろうともわかってしまった。
「それで、どうかした?」
「あー・・・ちょっと、依頼持ってきたんだけど・・・」
もはや視線を向けるのもいたたまれない気分で、藤ヶ谷が顎だけで示してみせた彼女。
五関はそれにめんどくさそうに頷くと、そちらも見ずにあっさりと言ってのけた。
「今日は終わりにするから、上がっていいよ」
特にきついというわけではない。
そんな興味すら既にないような無味な響き。
彼女はそれを敏感に感じ取ったのか、あからさまにショックを受けたような表情をしていて、藤ヶ谷は正直まるで修羅場にでも遭遇したようないたたまれない心地だった。
何度か物言いたげに口を開き、けれど第三者がいることと、何よりプライドが留め金になったのか。
彼女は結局何も言わず、脱ぎ散らかされていた服を掴んで俯きがちに出て行った。
今日は終わり。
けれどまた今度はない。
それを言われずとも感じ取れただけでも、まだ賢い女性だったのかもしれない。
ただせめてもの意趣返しのように、強めに閉められた扉が立てた派手な音が耳に響いて、藤ヶ谷はそこでようやく深い溜息をついた。
「毎度のことながら、きっついなー・・・」
「まぁ、巡り合わせが悪かったんだよ」
特に罪悪感も感じさせず平然と言ってみせる様はいつものことだ。
けれど毎度よくやるなとも思う。
「ていうか五関くん、割と気に入ってなかった?あの子」
「そうだね。最初はよかったんだけど」
「・・・また、なんだ?」
「あれは駄目だよ。あの目は駄目。綺麗じゃない」
「はぁ・・・」
そう、あの熱っぽい濡れた瞳は駄目。
本気でそう言う五関は、恐らく一般的に言えば相当な変人の部類に入る。
しかし大凡偏屈な人間が多い「芸術家」という種類の人間である以上、それは納得できるものでもあるのかもしれない。
五関は画家だった。
しかもヌード専門の。
世間的にそう知られているわけではないが、業界内では密かに有名だった。
五関の描く絵はヌードと言ってもその言葉から連想されるようないやらしさはまるでなく、どこか品があって美しく、神秘的な雰囲気すらあると言われている。
その芸術性の高さから五関の絵を所望する人間は多くいた。
描いて貰いたいと自ら志願する女性や、また妻や恋人や愛人を描いて欲しいと依頼する著名人だ。
ただ五関は芸術家特有の気難しい面があって、それは主に描く相手との距離感だった。
簡単に言ってしまえば、自分に特別な感情を抱かれてしまうのが駄目なのだ。
自分に執着したり、縛られたり、支配されたいとすら願ったり。
恋だとかそういうものを含めた熱っぽい感情がそこに差し挟まれるのは、五関にとって目の前の身体を描くということに置いて邪魔でしかない。
だからさっきの女性のように、描く五関以上に熱い視線を向けてくるようになったなら、もうそこで終わりなのだ。
もう長いこと友人として、そしてマネージャーとしてつき合ってきた藤ヶ谷は、そこら辺嫌になる程わかっている。
けれどさっきのような光景を見る度に思ってしまうのだ。
「でもさー、正直しょうがない面もあるんじゃないの?」
「そうかな」
「だって自分の裸をさ、その手の下心無しで真っ直ぐ見て綺麗に描いてくれるなんてさ、相手からしたらそりゃキちゃうでしょ」
「そういう仕事だし」
「中にはそう思わない子もいるって話」
その深い色の瞳で瞬き一つせず見つめられて、その綺麗な白い指先に携えた筆で、真っ白なキャンバスに最高に美しい自分を描いてくれる。
それは自分の身体に自信がある女性だからこそ、胸をどうしようもなく掴まれてしまう瞬間なのだ。
だから描かれていく数日間の間にその感情を恋に発展させてしまう女性も中にはいる。
けれどそうなった場合の結果はいつも同じだ。
その筆はもう進まなくなってしまう。
「けどこっちは折角綺麗に描こうと思ってんのに、そういうのって失礼じゃない?」
「まぁ、五関くんからしたらそうなんだろうけどさぁ」
そこら辺は五関の絵描きとしての矜持なのだろう。
そう言えば今回などまだ良い方で、以前描かれている内に五関に本気で熱を上げた挙げ句に途中で誘ってきた女性を、五関は無言でアトリエから無理矢理追い出したことがあった。
あの時は心底機嫌が悪くなっていて、藤ヶ谷も暫く近寄れなかった程だ。
けれどそんな様を見ていて藤ヶ谷は逆に思うこともある。
五関は描く対象に対して情熱がないのだ。
だから評価が高い一方で時折言われる、「描くものに対して愛情が感じられない」という言葉はそういうことなのではないだろうか。
そこら辺、毎回作品を仕上げてもあまり達成感のない様に、それが現れているのかもしれない。
「・・・で?依頼ってなに?」
「ああ、うん」
藤ヶ谷は小脇に抱えていた封筒の中から書類を取り出し、五関に渡す。
それを適当にパラパラと捲りながら目を通すと、五関はぴたりと動きを止めた。
「これ・・・」
「実は喜多川さんからの依頼なんだけど。喜多川さん、知ってるよね?」
「知らないわけないだろ。財界のドン」
「そう、相手はそのお気に入りの一人。その子を描いて欲しいんだってさ。喜多川さん直々のご指名」
つらつらとそう言われた所で、五関は手を止めていた箇所に改めて視線をやって小さく眉を寄せた。
そこにあるのは顔写真だった。
恐らく依頼された、描くべき相手。
「・・・財界のドンて、そっちの趣味なの?」
こちらを真っ直ぐに見つめるその顔は、確かに整った綺麗な面立ちをしてはいたけれど、どう見ても男だった。
その意志の強そうな大きな瞳が特徴的で、まるで触れたら切れそうな鋭利さがある。
それは到底女には持てないものだ。
「あー、なんかどっちもいけるみたい」
「へぇ・・・」
「でもその子は愛人てわけじゃないらしいから、一応」
「そこら辺の区別の仕方は、しがない絵描きにはわかんないけどね」
「確かにねー。実際はどうだかって感じ」
「それで、こいつを描けってこと?」
「そういうこと」
「・・・俺、男は範囲外」
「まぁまぁそう言わずに!喜多川さんがね、平成のミケランジェロにどうしても描いて欲しいんだってさ。財界のドンにこんな熱烈にオファーされるなんてそうないよ?」
「ミケランジェロって・・・」
五関は辟易した様子で呟く。
依頼してきたあの大物が知っているかどうかは定かではないが・・・恐らく知った上で言っているのだろう。
かの有名なミケランジェロが描いたヌードはほぼ男性だったという。
男の身体の美しさを最高の芸術品に仕上げた希有な画家だ。
つまりそのミケランジェロを引き合いに出す程に、五関に彼を描いて欲しいのだろう。
改めてその写真を見る。
まるで写真越しに自分を射抜くような瞳が目に焼き付く。
写真でこれなのだから生はどれだけなのか、少し気になった。
「・・・それで、これモデルかなんか?それともアイドルとか?」
「ううん、ストリッパー」
あっさりと藤ヶ谷が口にした言葉に、さすがの五関も目を丸くした。
「あ、驚いた?」
「そりゃ驚くよ。・・・なに?」
「だから、ストリッパーなんだって」
「男なのに?」
「あ、五関くん知らない?もちろん多くないけど、男のストリッパーもいるんだよ?」
「へぇ・・・世の中広い・・・」
「しかも女と違ってこう、なんていうかな、単純に胸見せて金貰うとかそういうんじゃないから、ショーとしてレベル高いのが多いらしくて結構人気あるんだよ」
「お前よく知ってるね」
「俗世間の事情には詳しいの」
「おかげ様で色々知れて助かるよ」
「わざとらしいけどありがとう」
これがストリッパーね・・・。
そんなことを思いながらもう一度写真を見る。
男と言うことを除いたとしても、あまり想像がつかない。
ストリッパーなんていう職業は裸を見られることが仕事で、しかもそれは見る相手に劣情を催させるためのもので、半ば媚びを売るのも仕事。
ホステスとの差は客に酒を注ぐか注がないかで、風俗嬢との差は客に身体に触らせるか触らせないかだ。
極端ながら五関のイメージするところはせいぜいがそんなものだった。
だからこそ、強い意志を秘めたその瞳はそれにそぐわない気がしたのだ。
書類をもう一枚捲ってみると、彼の経歴が簡単に載っていた。
名前、年齢、身長、体重、その他諸々。
「・・・フミ、ト?」
「そう。本名は河合郁人。その店自体が珍しい男性ストリッパーオンリーなんだけど、その中でも人気ナンバーワンらしいよ」
「その上、財界のドンのお気に入り、ね」
「そういうこと。しかもその店って結構高級なトコでね、結構著名人もお忍びで来るらしいんだけど、引く手あまたなんだってさ」
「・・・金と名誉を手に入れちゃうと、あとは凡人には理解できないものに惹かれるもんなのかな」
「あはは、そうかもね」
金持ちの道楽と言うのはわからないものだ。
五関は若干呆れ混じりで目を眇めて書類を見る。
芸術家というのは俗世間と距離を置いて生きているだけに、なおのこと理解しがたいのだろう。
ただ藤ヶ谷からしてみれば、件の依頼主も、そして目の前の芸術家も、理解しがたいという意味では同類なのだけれども。
「それで、どうする?断る?」
「正直描けるとは思えないんだけどね・・・」
「まぁ、男だもんねぇ・・・正真正銘」
いくらそれなりに綺麗な顔立ちをしていると言っても、自分と同じ性を持つ身体を何日間もずっと凝視して描くというのは、藤ヶ谷からしてみれば信じられないことだ。
ただそこら辺このヌード専門画家の友人にはどうなのだろうと思って依頼を持ってきてはみたが、やはりさすがにこれは無理だろうか。
そう思ったところで、藤ヶ谷はふと思い出したように懐を探り、何か小さな紙切れを二枚取り出した。
「あー、でも、そうだ、これこれ」
「ん?」
「あのね、依頼受けた時に貰ったんだけど。その店のチケット」
依頼する以上本人をきちんと見て貰わなければ話にならないでしょう。
代理人の男がそう言って渡してきたのは、一枚数万はするチケットだ。
たとえ断るにしても一度是非見に行ってみてはいかがですか、そんな風に言われて思わず受け取ってしまった。
「タダで見れるんならちょっと行ってもいいかな〜と思って」
「さすがちゃっかりしてんね、お前」
「だってくれたんだもん。いいじゃん」
「・・・で、それいつなの?」
「それが、今日なんだなー」
悪戯っぽくて幼い笑顔。
五関はそれに呆れたような顔をしながらも、首を軽く傾げて考えるような仕草を見せた。
あの写真を見た時点で、正直興味はあった。
断るにしろ、あの瞳を生で見てみたいと思った。
「・・・じゃ、見てから決めてもいいかな」
「そうこなくっちゃ!」
それこそが、始まりだった。
NEXT
いきなり何このパラレル!ていう感じですいません。続いてるしね。
しかも設定ありえんていう。
でも色々考えてたら大層萌えだったのでちょっとやらかしてみます。
ヌード画家×ストリッパーという衝撃の五河です。もうどうかしてる。
でも実際フミトがアイドルストリッパーだからしょうがないよネ!(…)
まぁそんなには長くならない予定です・・・うん、予定。
次回はいよいよストリッパーフミトと・・・・・・案の定その親友が出ます(…)。
(2007.8.12)
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