12.前を向くための瞳










「お前のどこがいいんだろ?」

平然と言ってのける声に、河合は軽く眉根を寄せながらも、特にそれ以上の反応をすることもなくすたすたと歩く。
けれど無視されても気にした様子のないその声の持ち主は、さっきから少し後ろをつかず離れずにいた。

帰る方向はまるで違うというのに、一体どういうつもりで着いてくるのか。
河合は内心そんなことを思いながら両手をパーカーのポケットに突っ込んだ。
もしかして心配してくれているのかとも少し思う。
けれどこの相手に限ってはそれもあまりないような気がする。
そもそもそういう相手ではない。
それならどういう相手なのかと問われると、河合には上手く答えられないのだけれども。

「とりあえず、あの二人の好みはわかんないわ」

しかしこれら台詞を聞けば、少なくとも傍目には心配しているようには見えない。
ただその軽い調子の悪態なんて、二人の間では日常でもあって、普段なら河合はそれに同じように返す。
それはなんの拘りもなく当然のように。
だから今それができない自分がどうかしているのであって、それをわざわざ北山に八つ当たりじみて言う必要もないと思った。

「つーかモテモテじゃん?河合ちゃん」

けれど一瞬前に思ったことはあっさりと覆される。
揶揄するようなその声。
ただでさえ余裕のない河合は、その言葉にムッと眉根を寄せて足を止めると振り返った。

「お前、なんで着いてくんの?そもそも方向違うじゃん」

発言の内容自体には触れなかった。
根掘り葉掘り訊かれたくなかったし、自分も考えたくなかったからだ。

そう、考えたくない。
今日はもう帰ってすぐに寝てしまいたい。
明日とてまた稽古があるのだから。
けれどそんな思考を当然見越していたであろう北山は、けれどそれでも軽い調子で言ってみせた。

「だから飯行こうぜーって言ってんだろ」

嘘つけ。
河合は咄嗟に心の中だけで舌打ち混じりで呟いていた。
これまた何故かと問われると上手く答えられないが、この北山が本当に単に夕飯を自分と一緒に食べたいだけでこうして着いてくるなどと、信じられるはずもなかった。
それはいい意味でも悪い意味でも、確信が持てることだ。
そしてこの誘いは、さっきのことを否が応でも考えなければならないということを意味していて、河合は誘いに乗る気になど到底なれなかった。
だから軽く視線を逸らしてめんどくさそうに言う。

「だからー・・・行かないって、さっき言ったし」
「腹減ってないわけ?」
「帰ってから食べる」
「折角河合と食べたいなーと思ったのに」
「・・・めーずらし」

思わず肩を竦める。
他の人間も交えてのそれなら何度となくあったことだ。
けれど河合と二人で夕飯だなんて、そんなことは一度としてなかったし、河合自身考えたこともなかった。

そんな河合の呟きに、北山は軽く唇の端を上げて笑った。
満面ではなく、ニヤリと擬音のしそうな意地の悪そうなそれだ。

「そう、超珍しいよ?むしろ聞いて驚け河合」
「は?なんだよ」
「今日藤ヶ谷とご飯の予定だったの、俺」
「・・・・・・はぁ?お前なにやってんの?」

確かに聞いて驚いた。
目の前の男は今、恋人との夕飯の約束を断って今ここにいると言ったのだ。
あの人懐こくてお喋り好きの割に内弁慶な北山の恋人。
河合ともとても仲の良い彼。
北山が藤ヶ谷にどれだけ惚れているかなんて河合だって知っているから、その言葉には言われた通り驚くしかなかった。
ただその驚きも一瞬で、河合はすぐさま思いついたとばかりに眉を上げて思いきり北山を指差した。

「え、今度はなにして怒らせたの?」
「ばっ、なんもしてねーよ!」
「えー・・・だってお前・・・どうせまた無理矢理エッチしようとして拗ねられたとかじゃないのー?」
「バカ俺を誰だと思ってんだこの紳士を」
「その冗談ぜんぜん面白くないよ」

河合は呆れたように大袈裟に肩を竦めて平然と言ってのける。
そんなことでもなければ、恋人との約束を断ってまでわざわざ自分の方に来る理由がわからない。
むしろそんな理由でなければ、残る理由は一つしかなくなってしまう。
けれど河合の言ったその理由を否定してみせた北山は、次には当然のように残る理由を提示してみせた。

「気が付いたら、身近でえらい修羅場が展開されてるからさ」

やはり軽い調子のその言葉に河合は一瞬眉根を寄せたけれども、すぐさまそれも解くとへらりと笑ってみせた。

「・・・べーつに?」
「それで誤魔化してるつもりなわけ?でも正直、お前らバレバレだから」
「あっそー」
「あの二人が隠す気なさげだし」
「知らねーよ」
「モテモテじゃん?」
「うるせーな・・・」

単なる野次馬根性か、そんなことを思って河合はさっさと踵を返してまた歩き出す。
さすがにこんな精神状態でこの男の好奇心につき合っている余裕はない。

「ケンカを止めて、二人を止めて、って?感想はどーよ、ヒロインさん」

今度の台詞には確実に嫌味が込められていた。
河合はすぐさま再び足を止め、隠すこともなく顔を顰めて振り返る。

「・・・お前、ほんと、なに?」

元々ハスキーな声は、不機嫌さを載せて更に低く夜の空気に響いた。
けれど見た目に似合わず低い声は相手も同様で、河合より更に甘さを含んだ低い声音は、夜に似つかわしい抑えた調子で言う。

「見てて鬱陶しい、お前」
「そりゃごめんねー。・・・じゃあほっとけ」

吐き捨てるように言ったその言葉に、北山はまたも唇の端を上げる。

「なに無理矢理イイコになろうとしてんの?」
「・・・なにそれ?」
「あームダムダ。お前元々そんな優等生ちゃんてガラじゃないんだし、無理すんな?」
「だから、なんだよそれ。意味わかんねー」
「物わかりいいフリすんなってこと」

河合はぎゅっと眉を寄せて目の前の童顔を半ば睨むように見る。
相手の言いたいことを探るようにも視線をやる。
けれどそんな瞳にも、北山は特になんでもないことのように肩を竦めて言った。

「お前があいつらに振り回されるようなガラなわけ?
根本的に、お前そんなにしおらしい奴じゃねーじゃん?
だってあの五関くんにだってあんな態度でかいし?」

誰もが一目置く、そして同い年の北山でさえ早々何か言えるでもない相手に対して。
とは言えそれは相方だからという一言で説明がつくものでもあるだろう。
けれどその一言で説明がつくこと自体が実は凄いことであるということに、一体どれだけの人間が気付いているのか。
北山はおかしくてならなかった。

「あの人に今まであれだけバカ正直にぶつけてきた奴が、今更なにビビってんの?」

そう続けた北山に、河合は咄嗟になんと返していいのか判らず、ただ眉を寄せたままじっと黙す。
「あれだけ」が指すものが、河合が今まで五関に真っ直ぐに向けた想いだということは河合にもわかった。
そこら辺のことは近しい仲間なら知っていることでもあったけれど、今こうして持ち出されるとは思わなかった。
河合は軽く拗ねたように唇を尖らせると、ふいっと顔を逸らして呟く。

「・・・俺だってね、さすがにはっきり拒否られたら傷つくの。怯んじゃうの」
「はっきり拒否られたんだ?」
「て言うか・・・・・・やめとけとか、俺にどうしろって言うんだとか、なんにもしてやれないとか・・・そういうの・・・」

ぼそぼそと呟けば、思い出してしまうその瞬間の数々。
そしてそれらに確かに傷ついた心。
けれど北山はそんな消え入りそうな声を軽く鼻で笑ってみせた。

「それのどこがはっきりしてんの?」

言われて一瞬言葉に詰まる。

「き・・・きらい、って・・・」
「あ、嫌いって言われたんだ?それは確かにはっきりしてるわ」

自分の言葉を繕うように言ったけれども、それは河合自身の中ですぐさま否定される。
何故ならそれは自分が無理に彼に言わせた言葉だったからだ。
はっきりした、明確な、そんな拒絶の言葉を彼に言わせたのは自分だ。
もういい加減辛くて、駄目なら駄目で、無理なら無理で、終わりにして欲しくて、もやがかかって見えない結果を求めるのがもう嫌で。
僅かに期待する度に勝手に裏切られたような気分になる自分が何より嫌で。

「・・・もう、いい加減しつこいっていうか、そう思われてる感じじゃん。確実に」
「バーカ。そんなのお前の思いこみじゃないの?」
「なんでお前にそんなことわかるんだよ・・・」
「や、正直そんなわかんないけど」
「なら知ったようなこと言うなよ」
「俺でもその程度はわかるってことだよ」
「でも・・・でもさ、だからって好きとか、そういう風に考えんのは違うじゃん」

たとえ嫌われてなかったとしても、相方として大事にされていたとしても、自分が求めたのはそれだけじゃない。
それ以上のものだったから。

「あの人あれで優しいもん。俺のこと傷つけたくないんだよ」
「確かにね」
「だから、あの人が自分ではっきり言えないなら、俺が言わなきゃ。
・・・結局言わせちゃった形だけど、でもちゃんとしなきゃ」
「ちゃんと失恋するってこと?だからさー、なんでそこでイイコぶんのかってこと」
「別に、いいこぶってなんか、ない。・・・これ以上苦しめたくないだけ」

あれだけぶつけてきた以上、逆にそれは自分の責任でもある。
頑なにそう漏らす河合に、北山はハッと軽く吹き出すように笑った。

「バーカ」
「・・・なんだようるさいな!」
「マジ、バカ・・・ってくらい好きなくせに。
なにしおらしく身なんか引いちゃってんの?笑えるからやめてくれる」


『捨てようと思って捨てられるもんなら、とっくに捨ててんじゃないの?』


その童顔を惜しげもなく崩して笑いながらさりげなく河合に近づくと、北山はその白い手に拳を作り、河合の左胸をトンと軽く叩いてみせた。
不意に垣間見た真剣な表情。

「傷つかない恋も、苦しくもない恋も、そんなのないんだよ」

河合は目の前の顔をじっと見た。
もう一歩北山が近づけば触れられる程の距離だ。
けれど間近にあるその顔はそれ以上近づくことはない。
二人の距離はそういうものだ。
だからこそ伝わるもの。

「ま、なんか悪かったって思うなら、ごめんねって言えば許してくれんじゃないの?
あの人なんだかんだお前に甘いもん」
「・・・・・・まぁ、お前よりはね。しょっちゅう説教食らってるお前よりはね」
「うるせー強調すんな」

泣いた烏がもう笑ったとばかりに平然と言ってのける河合に、北山は軽く舌打ちしつつ、付け加えるように続けた。

「あと横尾さんもね」

その名前にはやはり一瞬強ばった顔を見せたけれど、河合はすぐさま今度は泣き笑いのような表情を見せた。

「・・・知ってるよ。だって、あの時、あいつ・・・」
「ん?」
「あ、や、なんでもない・・・」

ふるりと頭を振って河合は口を噤む。
それに軽く眉を上げる北山に、河合はもう一度頭を振ると深く息を吐き出し、顔を上げた。
それは決して笑ってはいなかったけれど、今は十分だろう。
少なくとも俯いてはいないから。
その大きく鋭い煌めく瞳は確かに前を向いているから。

「・・・ねぇ」
「あ?」
「ご飯ておごり?」
「んなわけねーだろ。なんでだよ」
「ちっ、懐の狭いやつだなー」
「あ、今の舌打ち?このお悩み相談キタミツ先生に対してお前今舌打ちした?」
「キタミツせんせーおれモス食べたぁーい」
「甘えんなきしょいから。そもそもなんで当然のように奢ることになってんだよ」
「年上じゃん。しかもふたつも!」
「たったのふたつだろ!」
「いやふたつは大きいって!」
「大きくねーよ。変わんないから」

でもマジ腹減ったんだけど、と当然のような顔で言う河合に本気で呆れたような嫌な顔をしながら、北山は捨て台詞のように言って歩き出した。

「二十歳なんて所詮こんなもん。・・・どの二十歳も、こんなもんだっての」

ああ、そう言えばあの人とこいつは同い年だった。
その台詞で何故かそんなことを思い出して、河合は暫しその場に立ち尽くす。
けれどさっさと歩き出してしまった背中が一度振り返り、手招きをしたのですぐさまはたと我に返り追いかける。

「吉牛なら特別に奢ってやってもいい」
「サラダとみそ汁つきね」
「お前・・・ほんと少しは遠慮ってもんを憶えろよ」
「さあねー。あーマジ腹減ったー」

その遠慮を捨ててしまえとそう言ったのは自分のくせに。
河合は心の中でそう悪態めいたことを呟いて、思いきり夜の空気を吸い込んだ。

けれどそれなら明日はせめて、あの人の目がちゃんと見れればいい。
そんなことを思いながら。










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(2007.5.14)






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