7.近くて長い遠回り
横山くん、と腕の中から小さく呼ばれてゆっくりと腕を解く。
もう濡れてこそいないけれど依然として少しだけ赤い目元を晒しながら、錦戸は大きく息を吐き出して小さく笑ってみせた。
「そろそろ帰りましょっか」
「あー・・・せやな・・・うん、と、夜やしな」
「そうそう、夜やから」
我ながらおかしいと思わざるを得ない返しにあからさまな含み笑いを返され、横山はばつ悪そうに笑い返す。
さっきの今でどう接すればいいのかと僅かな戸惑いが表情に出てしまう。
錦戸はそれに唇の端を上げて二ヤリと笑ってみせた。
「なに変な顔してんすか。らしくもない」
それはさっきの錦戸からは想像もつかない、けれど普段の姿と言えば普段の姿で。
そのかわいげのない台詞に横山は一瞬きょとんとしてから、すぐさまむっと唇を尖らせた。
「な、変な顔てなんやねん。おまえ失礼やぞ錦戸のくせに」
「きっしょいねん、そんな見慣れん顔されても」
「うっさい。きしょいとか言うなや。おまえのそのニヤリ笑いこそうっといねん」
「これは生まれつきなもんで」
「うそつけや。昔はもっとかわいかったで」
「人なんて成長するもんですよ。・・・もう、よく判ったでしょ」
急に穏やかな表情を浮かべ、まるで言い聞かせるようなその言葉に横山は曖昧な表情で頷く。
けれど錦戸はまた再びニヤリと人の悪い笑顔を見せたかと思うと、さっさと歩き出しながら軽い調子で言ってみせた。
「まぁそんな気にせんでも、俺はさっさと新しい恋見つけますから。大丈夫っすよ」
隣を歩く横山の視線を横顔に感じながら、錦戸は努めて明るくそう言ってみせる。
「何せまだまだ若いんで。これからいっくらでも出会いなんてあるやろうし」
「・・・なんや、俺がおっさんやて言いたいんか?」
「まぁね。否定はしませんよ」
「否定しろよ」
「それにね、横山くん知ってます?俺結構モテるんすよ」
何だか楽しげにそんなことを言ってみる、錦戸の。
その真意が判らない横山ではなかった。
けれど何も言わず、ただ呆れたように笑った。
「・・・なっまいきやなぁ、こいつは!」
「せやからね、もうたぶん新しい恋なんて向こうからやってくるんとちゃうかな」
「あーそう。そら何よりやわ。羨ましいことで」
「そうそう。まぁ期待しとってくださいよ」
「なにをやねん」
「次はたぶん世紀の恋をしてみせますから」
「あほか。言うてろ」
そう言って軽く頭を小突いてくる横山の手の感触。
錦戸は口では「ほら、おっさんはすぐ暴力振るうねん」と悪態をついてみせながら、内心ではまたふとした拍子に滲みそうになる涙をぐっと堪えた。
でも、泣かない。
少なくとも横山の前ではもう泣かない。
泣くなら、帰ってから一人でだ。
新しい恋。
本当はそんなもの嘘だった。
そんなもの見つけられるはずがなかった。
錦戸は何とか表面上は上手いこと廻った口に内心少しの安堵を覚えつつも、同時にぽっかり空いた何かを持てあましていた。
新しい恋なんて無理だ。
少なくともまたそんなものに出会えるまでは、今まで横山に恋してきた年月と同じくらいの時がかかるだろう。
けれど言わない。
見せない。
見せてはならない。
これ以上苦しめたくなかった。
これ以上自分のことで苦しめたくなかった。
錦戸にはそれくらいしか出来なかった。
それくらいしか、今まで守ってもらってきたお返しができない。
何よりも大事に、大事に、その白い両腕で守ってもらってきたから。
今度は自分の番だ。
今度は自分が彼を守る番だ。
そうでなければ先に進めない。
錦戸は少し俯いて横山に見えない陰で一瞬ぐっと唇を噛む。
そして大きく息を吐き出すと、最後の一つの心残りを投げかける。
自分の内心の決意とは違ってその最後の一つだけは、横山にきちんと突きつけてやる必要があった。
「・・・横山くん」
「ん・・・?」
「村上くんのとこ、行くんすか?」
「・・・・・・」
錦戸の言葉に横山は驚きはしなかったけれど、何を応えもしなかった。
ただ無言で、ゆっくりゆっくり、川縁を歩く。
今度は錦戸がその後ろ姿を着いていくように歩きながら窺う中、薄金茶の頭はふっと夜空を見上げた。
今日の夜空は快晴で、月は美しく甘い金色を湛えてこちらを見下ろしている。
「俺って、あいつのなんなんやろな」
「・・・何やそれ」
「ほんで、あいつって俺のなんなんやろ」
「・・・」
夜空を見上げてぼんやりとそう呟く横山の言葉を注意深く聞きながら、錦戸はその様子を窺う。
「もうなぁ、ようわからんくなった。・・・や、元からようわからんか。
親友で仲間で、・・・でもそれだけやなくて」
それだけではない関係の始まりはいつだったか。
心に秘めた想いが胸を締め付けて苦しくて堪らなくて、息すらも出来なくなりそうになったその時。
苦しい、と。
一言そう漏らした横山の手を無言で握り、抱き寄せて、抱き締めた、その手。
それから始まった、酷く曖昧で形のない関係。
「なんなんやろなぁ、ほんまに」
声が大きくてよく喋る、いつだって社交的で明るく周囲と話している、そんなイメージの村上は、けれど横山とのその曖昧な関係の中ではさほど言葉は発しなかった。
他愛もない会話は普段と変わらないけれど、たとえば誰かが悩んでいたり落ち込んでいたりした時に親身になって相談に乗るような、そんな素振りは欠片程も見せなかった。
何一つとして自分の意見も考えも言うことはなく、ただ時折漏れる横山の気持ちを聞き、そして頼りなくなる身体を黙って抱き締めるだけ。
決して感情の起伏の乏しい人間ではなかったし、何より言葉がなくともその仕草や態度から伝わったから、横山はその自分に向けられる気持ちは薄々気づいてはいたけれど。
見ないフリをしていた。
それはその曖昧な関係を終わらせることを意味していたから。
そして横山が見ないフリをし、村上もまた何一つとして言わなかったから、だからこそ延々と続いてきた関係。
けれどそれはついさっき、急な終わりを迎えた。
いや、もしかするとそれは来るべき終わりだったのかもしれない。
その暖かな手は、もう離されてしまった。
錦戸は横山の後ろを歩きながら、小さく、けれどしっかりとした声で呟いた。
「・・・俺には判らんから」
「ん?」
「俺には、あんたら二人のことなんて、さっぱり判らん」
ゆっくりと歩き続ける横山に対して、錦戸はその場で足を止めて呟いた。
それに横山もまた足を止めて思わず振り返る。
「あんたにも判らんことなんて、俺にはもっと判らんねん。・・・けど、判らんなら、確かめればええやんか」
「確かめる・・・?」
「あんたとあの人との関係が、ほんまはどんなもんなんか。
気になるんなら確かめればええやんか。そんだけやんか。違うんか?」
「・・・それがまたわからん。どうしたらええんか」
そう言って深く息を吐き出す横山を、黒い瞳は瞬き一つせずに映し出す。
少しの苛立ちをそこに映しながら。
「どうもこうもないやん。何であんた、そないめんどいねん」
「めんどいとか言うなや」
「めんどいねんあんた。・・・あんたら、めんどいねん、二人して」
二人して、その言葉に横山は小さく反応する。
「誤解のないように言うときますけど、俺別にあんたらにどうにかなって欲しいとか、あらへんから。
そない心の広い人間やないしな、もうぶっちゃけどうでもええわ。・・・どうでも、ええねんけどな、」
これだけは伝えよう、そう思って錦戸は横山の薄い色彩の瞳を真っ直ぐに見つめた。
「あの人、言うたんやで」
錦戸は忘れることが出来ない。
本当は忘れようとした。
けれど結局忘れることなど出来なかった。
あの夜、人懐こい笑顔一つで、想いも痛みも葛藤も、何もかも覆い被せてしまったかもしれない、彼を。
それは確信を持ったわけではなかった。
けれどそれを否定してしまうには、錦戸にとっては村上も大事な人間だった。
横山に対するように慕い、恋したわけではなかった。
またすばるに対するように憧れ、尊敬するのとも違った。
それでも錦戸にとっては村上もまた兄のような存在であり、彼こそが横山とすばると、そして自分までも。
広げられるだけ広げた両腕で自分たちを守ってくれていたことを知っているから。
長い年月、その中で彼が自らを犠牲にしてでも自分たちを守ってくれていたことを知っているから。
自分を誰より守ってくれた・・・その横山を誰より守っていたのが村上であることを、錦戸は確かに知っていたから。
「・・・もうあんたに、泣いて欲しくないんやて」
「え・・・?なんや、それ・・・」
「一番大事なこと、なんやって。あの人俺にそう言うた」
薄く唇を開いてただ呆然としている横山を見て、錦戸はぎゅっと眉根を寄せる
改めて思い知らされる。
自分は決してあんな風にはなれないと思った。
それ程に守りたいと思い、事実として守ってきたのに、その手をあっさりと離してみせた彼。
いや、あっさりして見えたその裏で一体、一人どれ程の気持ちを押し殺してきたのか。
錦戸には最早想像もつかなかった。
「・・・ヒナ、が」
何か思い起こしてでもいるのか、横山は視線を彷徨わせながら思いを巡らせるようにして一人ごちる。
「あいつが・・・なんで、」
「なんでて。・・・そんなん、もう判らんわけやないでしょ?」
「せやけど、」
「せやけどなんやねん。ほんま、せやからめんどい言うてんねん、あんたら二人とも」
さっきの今だ、錦戸はどうしたってまだ横山への想いを吹っ切れないでいる。
だからこそ、二人に付き合って欲しいだとか幸せになって欲しいだとか、まだそうはっきりと言うことは出来なかった。
けれどそれでも言わずにはいられない気持ちも確かにあった。
「あんたらほんまは二人とも判ってんねん。やってずっと、一番近くにおったやんか」
錦戸はただ、二人の兄にもう自分自身を犠牲にして欲しくなかった。
ただそれだけだった。
「・・・・・・そ、か・・・」
乾きなど知らぬぽってりとした唇が夜風に戦きながら、小さく呟く。
「確かに俺、俺ら・・・もう若くないんかもなぁ。おっさんなんかもしれん。
・・・こんなに、遠回りしてもうたわ」
そうしてようやく浮かんだ柔らかな笑顔に、錦戸は確かに自分が一歩だけでも進めた気がした。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
店内で向かい合う二人は終始無言だった。
「・・・・・・」
「・・・・・・あ、それ俺の鳥、」
「・・・・・・」
「ちょっとすばるくん、無言で人の分まで食うの止めて下さいよ」
「・・・誰がオマエのやねん名前でも書いてあんのか」
「や、書いてはないですけど」
「やったらええやろ。アホみたいな文句言うな」
「じゃあ文句はもう言わへんから、無言で食うのだけでも止めて下さい」
「うっさいんじゃアホ」
「ああ、うん、せめてそんな感じで・・・・・・て、なんで俺悪態つかれながら飯食うてんねやろ・・・」
大倉はため息混じりでぼやきながら鍋の中を箸でつつく。
向かいには先程からギッと眉をつり上げて険しい顔をしたまま無言で鳥鍋を貪り食うすばるがいる。
結局今日の鳥鍋は大倉とすばる二人で食べるはめになってしまった。
横山は錦戸が何処へと連れて行ってしまったし、村上も一緒に店の近くまでは来たものの結局は曖昧に濁しながら「今日は止めとくわ」と言って帰ってしまった。
これじゃあ今日はなしかな・・・などと思いつつも大倉が一応すばるに伺いを立てみたところ、彼はさっきよりも更にもの凄い勢いで、むしろ最早ヤケと言った勢いで自分を店内に引っ張りこんだのだった。
そうしてただ無言で鳥鍋をつつくという何とも言えない食事が先程から二人の間で展開されていた。
大倉はとにかく食べることが好きだったし、そこには会話があってもなくても特に気にはならない。
むしろあまりにも喋られると食べることに集中出来ないから嫌だった。
けれど逆にここまで無言で、しかもそんな険しい顔で食事をされてもそれはそれでまた嫌だった。
今のすばるは明らかに不機嫌なのだ。
そしてその理由は、大倉にはぼんやりとは想像出来たけれど、実際に詳しい所はよく判らなかった。
一息ついて温くなったビールに口を付けるすばるはやはり不機嫌そうで、何だかいっそ辛そうにも見えて。
大倉は摘んだ鳥の一切れを口に放り込んで咀嚼すると、箸をゆっくりと置いた。
「あの、村上くんて、」
「・・・オレは何も知らん。知らんし、言わんからな。絶対言わん」
ぎゅっと口を噤んで自分を睨み付けるように見るその大きな瞳に、大倉は困ったみたいに小首を傾げ、そして緩く振った。
「別に聞きたいとか、そういうんやないです」
「ならなんやねん」
「あのね、単に、村上くんて、すばるくんと横山くんと、二人と仲ええよなぁって」
「はぁ・・・?なんやオマエいきなり」
「すばるくんと横山くんやって仲ええし。三人して、ほんま仲ええですよね」
「さっぱりわからんてオマエ」
この図体ばかりでかい後輩はいつもぼんやりしていて、何を考えているのか今一つ判らない。
すばる自身、他人は他人と思っていたからさほどそれを気にしたこともなかったけれど、それは今の気持ちの問題だったのか、何となくあぐらをかいて体勢を変えると向かいの大倉の方に耳を傾ける。
「俺は事情とかよう知らんけど。三人が仲良くしてきた時間って、それはそれだけの価値があると思うんです」
「・・・どういう意味?」
「んー・・・意味ていうか、意味って程のもんはないんですけど」
「なんやねんオマエ・・・」
「時間ってただ流れていくって言えばそうやけど、ただ流れていく分、必ず確かにいつだってそこにあるものやと思うんです。
積み重なってきた時間だけはいつだって真実やと思うんです」
「・・・・・・」
「過去に何かあったとしても、今何かあるとしても、これからの将来何かあるとしても、・・・きっとね、積み重ねた時間だけは嘘つかないです」
ほわん、と穏やかで柔らかな笑顔を浮かべて、4つ年下の後輩は一つ深く頷いた。
「せやからね、大丈夫ですよ。きっと上手く行きますよ。村上くんも、横山くんも。何もなくなったりせぇへん。ね、すばるくん」
「・・・なにが、ね、やねん。判ったような口ききよってからに。誰やねんオマエ。うっといねんきっしょいねん」
すばるは温くなったビールにまた口を付ける。
苦みでこの照れくさいような妙に甘ったるいような、この感情を誤魔化してしまいたかった。
自分と村上と横山と三人で面倒を見て引っ張ってきたと思っていた下の五人の中の一人。
それがいつのまにかこんなにも大きく成長していたのかと思うと、何とも言えない気持ちだった。
「身体ばっかでかくなりよって、ほんまうっといねんオマエ」
「えーやってご飯おいしいねんもん」
「食い過ぎやろ。ほんまにブタになるでその内」
「ならへんもん」
「いっそなってまえオマエは。そしたら俺が食うたるわ」
「食うんはええけど食われるんはちょっとー・・・」
「・・・フン」
本当は身体だけなんかじゃない。
心までも、いつのまにか励まされる程に大きくなっていた。
そんな事実をあの二人も知っているのだろうか、とすばるは苦みを舌で転がすようにして思った。
すばるはいつからか始まった村上と横山の曖昧な関係に薄々気づいていた。
けれどすばるとは違い、二人は両方ともが面倒見が良くてしょっちゅうメンバーなどの相談に乗ってやる割には自分の本音は意外と言わない方だったし、隠すのもそれなりに上手かった。
ポジティブ人間とネガティブ人間などと、まるで対照的にも言われる二人だけれど、そこだけは共通していた。
ただそれはそれで二人の性質や生き方なのだと思えばすばるは口出しをする気などなかったし、事実として今までほとんどしたことはなかった。
かつて一度だけ横山に言った時、以外は。
そしてその時に言うんじゃなかったと思ったからこそ、それからは言わなくなった。
けれどすばるは今日、少しだけ後悔した。
お節介だと言われても、口出しすべきだったのかもしれない。
すばるは幼い日の記憶を引っ張り出して考える。
いつからだろうか。
一体いつから二人はああなったのか。
いつから、村上は・・・。
「・・・なぁ、大倉」
「はい?」
「オマエ、ヒナのことどう思う」
「どう、て・・・」
「あいつのイメージ言うてみろ」
「イメージですか?うーん・・・」
唐突なすばるの問い掛けにも特に疑問を持つでもなく、大倉は言われた通り素直に考え始める。
そして浮かんでいくその言葉を辿々しく羅列していった。
「えっと、まずはやっぱポジティブでしょ?そんで、おっさんですよね。
やたらと声はでかいしよう喋るし、・・・あ、でも村上くんのおかげでトークとかでは困りませんよね、うちら。
むしろおらんとツッコミおらんくなって困るし。うちらボケばっかやし。
あと面倒見はすっごくええし、いつも相談乗ってくれるし、明るくて社交的でタフで、まずへこたれへん。
ものすごくパワフルでバイタリティのある人、・・・てイメージですね」
「ふーん・・・」
「・・・あれ、あかん?」
「別にあかんことはないけどな。まぁ、せやな、せやんな。たぶんみんなそう言うよな」
すばるは至極納得したように呟いたけれど、大倉にはだからこそむしろ気になった。
「ほんまは違うて、言いたいんですか?」
「違わんて。オマエの言うたような感じやろ、だいたい。
全部ひっくるめるとあつっくるしくてうっとうしい、てことになるけどな」
「じゃあなんでわざわざ訊いたんです?」
大倉はぼんやりおっとりしているけれど、決して愚鈍ではない。
むしろ大事なポイントを見抜く目は人一倍だろうとすばるは何となく思った。
そしてだからこそ今こうして自分の口も軽くなってしまうのだ、と自分に言い訳した。
「・・・あいつな、昔はめっちゃネガティブやってん」
「えっ!うそぉ」
「ほんま。しかもごっつ泣き虫でな。事務所入りたての頃はピーピー泣いてたわ」
「えええー・・・想像つかへん、あの村上くんが・・・」
大倉はぽかんと間抜けに口を開け、目を真ん丸に見開いて、これでもかと驚いている。
たぶん下5人はみんな同じような反応だろう。
それを知っているのはグループ内では最早すばると横山だけだ。
確かに今のあの姿からは誰もそうは思わないだろう。
けれどすばるは憶えている。
村上は確かに昔から人懐こくはあったけれど、今みたいに何でも言える、誰とでも話せる、そんな社交的ではなくて。
今よりも更に人見知りで人間不信気味ですらあったすばると二人、あまり目立たぬようにしている節もあった。
あの頃はむしろ横山が一番大人だったのではないだろうか。
彼は彼で、確かに別の意味で浮いてはいたけれども。
「いっつも先輩とか人気のあるヤツらにくっついとって、まさに長いものに巻かれろ的な、な。
ほんま最悪やったでアイツ。コウモリやコウモリ」
「へ〜・・・意外ですねぇ・・・。でもそれが今やあんな風になってまうんやから、時間てすごいですよね」
素で感心したように頷く大倉をすばるはちらりと見やる。
次いで空になってしまったビールジョッキを見ると、代わりについ先程運ばれてきた冷水を一気に喉に流し込んだ。
火照ったものが一気に冷やされる感覚に身を固くする。
「・・・でもな、そう簡単に変わると思うか?」
「え?」
「なんやっけ、みつごのたましい、・・・何とかって言うやん」
「・・・三つ子の魂百まで?」
「そう、そう、それや。・・・人間確かに時間とか経験とかで変われると思うで。
けどその100%が変わるわけあらへんねん」
「それは、・・・」
その言わんとしていることが判ったのか、大倉は何かを言いかけて押し黙る。
「あいつは強い。確かに強い。強なった。うらやましいくらい。ほんまに強い、・・・けどな」
すばるは辛かった。そして悔しかった。
気づいてやれなかったことを確かに悔やんだ。
「あいつかて、強いばっかやあらへんねん・・・」
空になったコップをぎゅっと握り締め、すばるは搾り出すように言う。
さっき錦戸が横山を連れて行った時。
横山の白い手を握り、そして離し、笑ってみせた。
アホだと罵り、胸倉を掴んだ自分にさえ、苦笑してみせた。
村上は強いから言い訳をしない。弱音を吐かない。
誰にも助けを求めない。
それでもやり過ごせてしまうだけの強さを持っている。
けれど。
その過ぎる程の強さこそが裏返しの弱さだということに、誰も気づけなかった。
村上は強い。
強いから誰もが彼を頼る。
だからこそ彼は誰も頼ることが出来ない。
誰も頼らない強さは、逆に誰も頼れない弱さでもある。
「あいつがアホなら、・・・オレはもっとアホや、」
「すばるくん・・・」
「アホや・・・」
すばるは後悔した。
他人は他人などと、所詮自分が何も出来ないことへの言い訳でしかない。
村上が、横山が、自分にとってかけがえのない二人が互いに苦しんでいる時に何もしてやれなかった。
薄々気づいていたのに何もしなかった。
何も出来なかった。
「・・・すばるくん、ねぇすばるくん」
「・・・・・・」
「すばるくん。さっきも言いましたけど、何もなくなったりせぇへんよ。絶対」
大倉にはすばるが何に苦しんでいるのかやっぱり具体的なことは判らない。
けれどそれでも、すばるを、村上を、横山を、自分たちにとってはみな等しく兄のように慕ってきた三人を、自分だってずっと見てきたのだから。
だからこそ言えることは確かにあった。
「時間がな、それこそ死ぬまでの間たくさんたくさん俺らの周りを流れてるのは。
きっと何か間違えてもいくらでもやり直せるようにやって、俺は思うんです」
「・・・・・・」
「積み重ねた時間だけは嘘をつかへん。
せやからきっと、間違えて、傷ついて、後悔して、
・・・それでもやり直したいて思った人には、その後ちゃーんと幸せになれる時間を用意してくれとるんです、きっと」
「・・・さっきから『きっと』ばっかやん」
「あー・・・まぁ、所詮持論なんで・・・」
「・・・ジロンやて。ぼんくらのクセに生意気やな」
「もーええやないですかぁ。そう思ったんですー」
「・・・フン。まぁ、ええわ。そういうことにしといたる」
すばるは再び箸をとると、鍋の中に僅かに残っていた鶏肉を緩慢な仕草で掬い上げて口に運んだ。
もしも大倉の言うように、誰しもにやり直せる時間と、そして幸せになれる時間とが平等にあるというのなら。
もう十分だろうと思う。
もういい加減、あの二人を幸せにしてやって欲しいと思う。
長い年月。
出逢ってから今までの時間。
二人は誰よりも近くにいながら、それなのにどうしてかすれ違ってきた。
でも一度離したその手なら、またもう一度握ればいいはずだ。
近くて長いその遠回りも、そろそろゴールを見てもいいはずだ。
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(2005.8.12)
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