1.愛してるなんて言わない










「愛してる、て?」

白いシーツの上にしどけなく転がった、これまた白い身体。
村上はその横に座り、ベッドサイドの照明を一段階落した。
うっすら灯った間接照明だけが二人を浮かび上がらせる。

「・・・そ。いまさらモテ期到来やで」

白い肌に色鮮やかな唇の端が、緩く持ち上がる。
あぐらをかいて座っている村上が見下ろすと、切れ長の瞳は自然と上目に見つめ返した。

「ずっと好きやったって、ようやく気付いたんやって。・・・いよいよトレンディドラマになってきたわ」

そう言って小さく笑う様が何だか少しだけ幼く見えた。
高いトーンで笑う声はどこか甘く響くし、それを紡ぐ妙に艶やかな唇は着色料多めのキャンディを連想させる。
上目に見上げてくる瞳は微かに潤んでいるせいなのかいつもよりそのきつさを弱めていた。
けれど薄く上がった唇の端は何処か悪戯っぽく、まるで閉じることを知らない。
横山は客観的に見ても美しい容姿をしていたけれど、それは観賞用と言うには些か何処か歪な印象が拭えない。
むしろ手を伸ばして、触れて、懐に入れて、自分にどんな顔を向けるのかを見てみたい・・・そんな気にさせる。
・・・確かに、これならしゃあないな。
一人小さく頷いて、村上は納得したようにそう思った。

「そら、愛してる、てねぇ。なかなか言われへんよ」
「な。さすがにびっくりした。ちょっとうろたえたし。俺もうおっさんやんか」
「言うても、そない変わらんでしょ」
「結構ちゃうで。・・・えと、・・・・・・・・・3個下、か」

横山は思い出すような様子を見せながら、たっぷり間を置きつつ呟く。
けれどまさか本当に歳を思い出すだけでそんなに間を置いたわけではないだろう。
あれだけ密に付き合ってきた、横山にとっては弟にも等しい人間のことなのだから。
むしろ思い出していたのはきっと「それ」を告げられた時のこと。

「あいつなー、ほんま男前になったよなぁ」
「せやね。顔つきとか随分変わったし」

彼は何年か前まではすばるよりも小さかった。
まるで天使のようだと賞賛されたその愛らしい容貌だけで将来を約束されたも同然で。
その小さな身体からは信じられない程に力ある歌声で周りをの目を釘付けにした。
けれど口を開いてみればなかなかに小憎らしく同時に繊細なその性質は、周りの者達に自然と庇護欲みたいなものも駆り立てた。
特に村上と横山は長男だったから余計にそうで。
更に言えば横山は、人見知りで繊細で傷つきやすいその人柄を他人事とは思えなかったのか、何かあると構っていた。
逆に彼もまた何か感じるところがあったのか気が付けば横山の傍にいたし、無言の信頼を寄せているようだった。
あの頃から既に大人びていた横山と、同年代の少年達よりも幼かった彼と。
どこか近寄りがたい空気を醸し出していることに関して言えば似たもの同士だった二人が寄り添う姿は、傍目から見ていてまるで本物の兄弟のように微笑ましいものだった。

村上はそれをよく憶えている。
そして、それはもう何年も前の話。
今や彼はどこからどう見ても、少なくとも外見は立派な大人の男に成長した。

「俺らとか、今確実に負けてんで」
「それはどこで勝負してんの」
「黄色い悲鳴とかで」
「それはしゃあないな」
「あー俺もキャーキャー言われたい」
「じゃあもっと頑張らなあかんよ」
「もー遅いわ、正直」
「まぁね。俺らはこっちでがんばりましょ」

トークで、と。
口の前で手を開いたり閉じたりしてしてみせる。
横山はそれを見て呆れたように胡乱気な表情を見せた。

「おまえと一緒にすんなよ。俺はまだまだアイドルでおりたいねんから」
「俺かてアイドルやて」
「おまえちゃうやん。おまえはもう、お笑いポポロとかな、出てりゃええねん」
「そこはまだポポロでおらせてや」

村上がクスリと笑う。
それを鬱陶しそうにしながら、けれどそれとは裏腹に村上の方を向いて転がる。
シーツの上に小さく傾けられた金色の頭。
微かに上下したかと思うと僅かに欠伸をしたようだった。

「・・・ほんまなー、かっこよかってん」

眠気を含んだ声は普段以上に甘ったるく舌足らずに響く。
もう二十代も半ばにさしかかるというのに、むしろ幼くなっているのではないかと錯覚してしまう程に。
それは、声変わりをして愛らしく高い声から色気も滴る程に低く変化した彼の声とは対照的だ。

「めっちゃ人の目見て言うねん、あいつ」
「そうなんや」
「そ。逸らせへんねん、目力ありすぎて」
「判る気ぃするわ」
「そのくせ余裕とかまるでない感じでな、一生懸命言うねん」
「あいつらしいけどな」
「あんなん、なぁ・・・あかんよなぁ・・・」

村上がそっと見下ろせば、目を細めて何処かぼんやりとシーツを眺める切れ長の瞳があった。
その奥には未だ幼く天使のような昔の彼が住んでいるのか。
それとも、今や熱っぽい目をして自分を見るようになった一人の男としての彼が住んでいるのか。

「俺が可愛いファンの女の子やったら、二つ返事でオーケーやったで」
「・・・断ったん?」

そっと、呟くような村上の声。
村上自身は小さく言ったつもりだったのだけれど。
元々の声が大きいからなのか、それとも部屋の静けさのせいなのか。
それとも、それを発した村上自身の心情を反映していたのか。
呟きは思うより大きく響いた。

「・・・」

返事はなかった。
ただ、シーツに預けられていた頭が小さく持ち上がり、村上を無言で見上げていた。
一瞬の無表情。
そして何処か自嘲気味な薄い笑み。

「俺は可愛いファンの女の子やあらへんやろ 」

村上はすぐさま心の中で小さくごめん、と言った。
判りきっているのに言ってしまったのは意地悪だっただろうから。

「・・・でもまぁ、完全に断れたとも言い切れんから、どうなんやろ」
「どういう意味?」
「誰か他に好きな人でもおるんですか、てな」

横山のおかしそうな口ぶりからでも容易に想像がつく。
あの真っ直ぐな気性をした彼の一途な眼差し。
目の前のものしか、ともすれば自分の気持ちしか見えていないのかもしれない、真っ直ぐすぎる目。
そこには横山の塞がることなどない傷口など、到底見えはしないのだろう。

「・・・ヨコ、」
「言うなや村上」
「ちゃうよ、ヨコ、」
「言わんでええねん、いまさら」
「何も言わんよ」
「・・・なんやねんな」

少しだけ不機嫌そうな、同時に何だか僅かに怯えの見え隠れする表情。
きっと彼には欠片程も見せない表情だろう。
それが判っているから村上は少しの優越感を感じた。
そしてまた少しの切なさも憶えた。

「俺からは何も言わんよ。・・・でも、お前からは何か言いたいこと、ないんか?」

彼は知らない。
けれど村上は知っている。
一つの恋心が殺された瞬間を。

誰よりも大事にしていたのに。
誰よりも大切に想っていたのに。
誰よりも愛していたのに。
だからこそ殺されなければならなかった恋心があることを、村上は知っている。

「なぁ、ないんか?」

あの時みたいに。

『お前がその恋を殺した時みたいに』

けれど横山は村上を暫しじっと見上げてから、ふと小さく目を伏せてしまう。
そして微動だにしない。
その艶やかな唇から漏れる吐息だけが、まるで人形みたいな白い顔を生きていると今唯一感じさせた。

「・・・もう、ないんか?」

もういっそ死んでしまいたいと、あの時はそう言った。
けれど傍にいたいから死ねないとも、言った。

苦しくて苦しくて、でも愛おしくて。
いっそ狂いそうな程に彼を愛して、愛して、それがどうにもならない、どうにかしてはいけないものだと悟ったから。
彼を想えば想う程に、輝ける明るい道を歩んで欲しいと願ったから。
横山はそっと、密やかに、自らの手で、その恋心を殺した。

村上はその一部始終を見ていた。
だから今こうして誰よりも横山に近い場所にいる。
その心の闇を守れるような、近い場所に。

「俺は諦めませんから・・・やって」

遠くを見るような目で呟く。
きっとそこには、ただただ熱く真っ直ぐな黒い瞳が映っている。

「絶対に諦めませんから。あんたを振り向かせるまで。・・・・・・ほんま、かっこええよなぁ、あいつ」

彼らしい台詞。
らしすぎていっそおかしくなってくるくらいに。
彼がそう言ったのなら、きっとそれは紛うことなく事実で。
自分の想いを自覚した彼はきっと報われなくとも横山を想い続けるのだろう。
そして何度でも何度でも、横山に想いを告げるのだろう。
・・・今更に、自覚しておいて。

「俺あんな熱烈な告白されたん初めてやで。ほんま参ったわ」
「・・・あいつらしいなほんまに」
「な。もうなぁ、俺が女の子やなかったことがますます悔やまれるわ」

もしも女の子だったなら。
それは馬鹿みたいな戯れ言であったけれども、確かな真実でもあった。
あの真っ直ぐな眼差しにそれはさしたる壁になど見えなかったのだろう。
でもそれは、常に自分の前にあった存在が守ってくれていたからだということを、彼は知らない。
そして常に彼の前で彼を守り続けてきた横山の前には、いつだって厚く高い壁があったことを、彼は知らない。

「ま、女の子なら世の中ぎょーさんおるしなぁ」
「せやね。ただあいつは望みが高そうやけどな」
「そやねん。あいつ高望みしすぎやねん。ちょっとは妥協せぇっちゅうねん。・・・でもな、ほんまにな、」

村上が見下ろせば、いつの間にか再びうっすら開いた瞳。
それは僅かに歪められていっそ泣きそうにすら見えたけど。
きっともう涙は出ない。
あの時に出尽くしたと、横山自身がそう思っているから。

「ほんまになぁ・・・新しいの、見つけてもらわんと困んねん」
「・・・ヨコ」
「こまる・・・」

村上はそっと手を伸ばして金色の髪に触れた。
さらりとした手触りは昔から変わらない。
そして触れると一瞬震えるのも。
ずっと変わらない。

あの時何も言えずに自らの想いに自ら一人決着をつけてしまった横山を、愚かだと言う人間もいるだろう。
臆病なのだと。弱いのだと。所詮はその程度のものだったのだと。
確かにそうなのかもしれない。
けれど何よりも愛おしい人間へ向けるその恋心を自ら殺さねばならなかった横山の痛みは、他の誰にも判らない。
それを傍で見て傍で支えた村上にだって実の所は判りはしない。
村上に判るのは、ただその痛みを包み込むことを願う、自らが抱えた想いだけだ。


「・・・侯隆、」

身を屈めれば横山の上に大きく影が出来る。
ぼんやりと見上げてくる横山の耳にかかった髪をそっとかき上げ、村上はその耳朶に小さく唇を落とす。
唇に紛れて触れた吐息に僅かに肩を竦めながら、白い手がゆるりと村上に伸びる。

「するんか?」
「まだ眠れへんやろ?」
「んー・・・もう一回くらいしたら、眠れるかもな」
「せやったら、そうしよ。お前が眠れるように」

くしゃりと髪を混ぜるように撫でて、これ以上なく優しい調子でそう言う様にはどこか愛おしさが滲み出ていて。
横山は一瞬また泣きそうな目をする。
けれどすぐさま大きく息を吐き出して、ふふんと笑ってみせた。

「なにおまえ俺のせいみたいな言い方してんねん。おまえがしたいんやろが。盛ってんなよ」
「はいはい。生意気なお口もその辺にしといてくださいね。萎えるから」
「うわー偉そう。何様やこいつ。調子のんなよ。おまえこそベラベラ喋りよって萎えるねん」
「なに。俺そんな喋らんでしょ」
「おーおー、そんならほんま喋んなよ。余計なこと言うたら寝るからな」
「寝られればの話やけどね」
「いらんこと言うなよほんま」
「もう言わんて」

そうして頬を撫でる村上の手にそっと目を閉じて横山は身を委ねた。
村上はその作り物のように白く透ける肌に触れ、生きているのだと確かめる。
けれど村上に確かめられるのは所詮その程度。
その白い頬を染めることは出来ても、本当の意味で熱く出来るのが自分ではないことは十分すぎる程に判っていた。
ただ、それでも。
触れずにはいられなかった。
判っていてもどうしても触れたかった。
村上は横山のようにはなれなかった。

横山はかつて恋心を自らの手で殺した。
そうして幼かった彼を守った。
けれど成長して守りの手を必要としなくなった彼はようやく自覚した恋心をそのままに、「愛してる」と囁いて。
知らぬ間に横山の恋の亡骸に命を吹き返そうとしている。
けれど横山は一度殺したものを再び目覚めさせることをひどく恐れている。
あの時植え付けられた恐怖と罪悪感と痛みは一生消えない。
もはや「愛」は横山を傷つける凶器にしかならない。

それを知っているから村上は、ただこうして怯える横山の傍にいるだけ。

「・・・言わんて」

何も言わない。
何一つとして告げない。

横山程に臆病でもなく。
あの彼程に真っ直ぐでもなく。
村上は誰よりも狡い道を選んだ。



そう、傍にいたいから。
愛しているからこそ。


愛してるなんて言わない。










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(2005.6.25)






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