5.だからその手離した










横山は知っている。
自分の罪を知っている。






「おーい、寝るんやないの?」

いつものように、少し乱れたベッドの上。
荒くなった息が自然と落ち着いていくのに任せて無造作に寝転がる。
恐らく一般にはピロートークと呼ばれるものが交わされるような頃合いだろうが、生憎と横山と村上の間には特にそんなものは存在しなかった。
それはやはりいつものこと。
特に疲れた様子も見せず、いつも通り張りのある声を上から降らす村上に、横山は気怠げに目を閉じたまま鬱陶しげに呟く。

「・・・ねる。せやから目ぇ閉じてんねん。しゃべんなや」
「ああうん、せやからね、俺もそう思っててんけど。・・・なんですのん」
「なにて、なに」
「せやからね、」
「なにぃ・・・」
「この手はなんですの、て」

言いながらも別段咎めるでもなく、単純にふと気付いた程度の調子で言う村上の右手。
それは二人分の温度を留めたシーツの上、白い右手に緩く握られていた。
くったりした様子で一人タオルケットにくるまり、そんな身体を村上が何でもないことのように緩く抱きしめて眠る・・・そんなのがいつものことだったから。
村上は、珍しく横山から握られた自分の手に少なからず感じるものを胸の奥に留めながら、解こうと思えば容易く出来るであろう、その力の入っていない白い手をそのままにした。
代わりに自分の手を握るその白い手を、逆の手で更に上からきゅ、と被せるようにして握る。
その暖かいとしか言いようがない感触に一層の柔らかな眠気を誘われながら、横山は子供がするようにそうっと顔を上げて村上を窺う。

「・・・なに?」
「や、どうせやから両手の方がええかな、て」
「なにがどうせやねん」
「ほら、手ぇ握ると子供は安心するて言うでしょ」
「誰が子供やねん」
「やってあんた年々確実に幼児化が進んでますよ」
「ちゃうわあほ。これもひとつのキャラてやつやんけ」
「どんなキャラやねん24にもなって」

村上が手を握ったままごろんと転がると、そこにはだいぶ赤みの引いた白い顔が見える。
両手で包み込むようにした手に少しだけ力を込めると、横山は緩く目を瞬かせて微睡んだ表情を見せる。
手が使えなくなっている分、僅かに身体をそちらに寄せると、村上の肩口の方へと自然とその薄金茶の頭が寄せられる。
まるで温もりを求める野良猫のように遠慮がちにすり寄せられる温もりが、村上にはどうしようもなく愛しかった。
それは無言で、もちろん言葉などは到底言えるはずもないのだろうけれど。
ただそれでも昔に比べればだいぶ変わった。
昔はもっと、言ったら野良は野良でも手負いの野良猫だったから。

さっきの村上の言葉の意味は単なる戯れ言だけのものではなかった。
横山は年々その心が幼くなっていく。
そして近頃はどんどん弱っていくような。
こんな風に、たとえ事後という時間であろうとも、それは仕草だけのことであろうとも、村上にあからさまに甘えるような仕草をするようになったのはいつからだったか。

「・・・なぁ、おまえ、」
「ん?」
「おまえの手、ほんま熱いな」
「そういうお前の手は妙にひんやりしとるで」
「・・・おれ、変温動物やねん。変温すんねん」
「あら、そら初耳ですわ。変わんねや」
「・・・あーおもんない。ねむたい」
「あんたが自分で言い出したんでしょ」
「手、あつい」

そんなことを言いながら、今にも意識を落としてしまいそうな程に微睡んだ様子で緩く瞬きを繰り返す。
村上の節張った指がゆるりと動き、隙間もなくその白い手を覆う。
それを感じて横山は今度こそ目を閉じた。
そこにあるのは安堵と罪悪感と、そしてそれ以外の何か。

呟きは熱を持った吐息と共にシーツに落ちた。

「ひな、」
「うん・・・?」
「・・・なんでもあらへん」
「そか」

そうして会話もなくなって、自然と横山の意識は落ちていった。
その最中にも村上の手はずっと横山の手を握り続けた。
その過ぎる程に暖かな熱は夢の中にまで伝わる程に、横山の手と、そして心とを包み込んでいた。
横山の中で、いつからかその温もりだけは永遠にも似ていた。






温もりに包まれたまま夜が明ける。
いつからか横山を怯えさせるようになった深い夜が、また明ける。
もう何度目かなんて憶えていない。
数え切れないくらいに迎えた朝。
いつもと変わりない朝。
変わらないはずだった朝・・・少なくとも横山にとっては。
けれど横山はすぐに気付いた。

覚醒していく意識の外。
眩い陽の光に目を細めながら、定まっていく視界の先。
そこにあるのはシーツに無造作に放り出された自分の生白い手。
ただ、それだけだった。

「・・・・・・ひな?」

いつも暖かで、安堵をもたらし、そして僅かの胸の苦しさを伴う目覚め。
そこにいつもあるはずの温もりが。その笑顔が。そのしっかりとした手が。

「・・・・・・どこ、」

乱れたシーツをのどこを探しても、見あたらなかった。

眠りに落ちる前、いつものように、確かにそこにあった手が。
あの暖かく、いっそ熱いくらいで、節張った、男らしいあの浅黒い手が。
どこにもなかった。
横山の目覚めのどこにも。

「・・・・・・」

そうだ。
だからだ。
横山は覚醒していく意識を持てあまして思った。
自分の手が今冷たいままなのは、・・・だからだ。

彼はどうしたんだろう。
自分を置いてどこへ行ったのだろう。
何か夢でも見たんだろうか?

そして頭の片隅で今見た自分の夢を思い出しながら。
横山はもはや自分一人の熱しか残されていないベッドで身動ぎ一つせずにいた。















「横山くーん飯いきましょー」

メンバーかつ横山の貴重な飯友が、今日も今日とて妙に嬉しそうにやってきた。
横山は撮影の衣装を脱ぎながら片手で私服をたぐり寄せる。

「おーええでー。何食う?」
「今日は鳥ー。鳥鍋どうですかっ」
「おっ、ええやん」
「ね、おいしい店見つけたんです。行きましょー」
「ええなー鳥」
「ええな鳥っ!」
「あ、すばるくん」
「なんやねんおまえいきなりびっくりするやろっ」

急に割り込んできた声と自分の身体に廻された手の感触に、シャツの片袖を通していた横山は肩をぴくんと反応させて振り返る。
するとそこには後ろからしがみつくようにして顔を覗かせているすばるの姿があった。
撮影の順番は大倉や横山よりも後だったというのに、既に私服に着替え終わって荷物もまとめてしまったようだ。

「俺も行くで、鳥鍋」

シャツのボタンをぷちぷちと留めていく横山の腰の辺りに何故かしがみついたまま、すばるはその向こうの大倉を見上げる。

「今日は俺も鍋の気分やねん。食うでー!」
「じゃあすばるくんも入れて三人ってことでー」
「おう、任せろ」
「なんや、珍しいやんけおまえ」

普段は仕事が終われば人が誘う間もなくさっさと帰ってしまうくせに。
そんな台詞を言外に滲ませつつ、横山は自分にしがみついた小さな身体を見下ろした。

「まぁ、たまにはな」
「ふーん。・・・ちゅーかどうでもええけど、暑いからひっつくんやめぇ」
「なんでやねん」
「なんでて、あつい」
「なんやオマエひやっこいねん」
「俺はあつい」
「ええやん。オレもあついねんもん」
「知るか。おまえ人様を犠牲にしてなんやねん」
「なんや人様てオマエのことか」
「他に誰がおんねん」
「ええやんオマエ代わりにオレの体温やってんねんから」
「いらんわこのクソ暑いのにおまえの体温なんぞ」
「・・・・・・どうでもええですけど、腹減ったんではよ行きましょうよ」

まるで中身のないやりとりは到底グループの年長者二人のものとは思えない。
大倉は内心で軽く呆れつつ荷物を手にとる。
忘れものがないかどうか鏡台の上を見ると、その鏡にちょうど今部屋に入ってきた村上の姿が見えた。

「あ、おつかれさまでーす」

村上は暑そうにタオルで首筋を拭いつつ、荷物を手にした大倉と、傍目から見ればじゃれ合っているようにしか見えない二人を交互に見た。

「なに、三人してどっか行くん?」
「今日は鳥鍋なんです」
「おっええやん鳥鍋」
「村上くんも行きます?」
「せやなー、混ぜて貰おかな」
「じゃあ今日は四人ってことで」

笑いながら頷いた村上に負けず劣らず笑う大倉は、きっとこれから食べる鳥鍋と、そして美味しいそれを珍しく上三人全員と一緒に食べられることが嬉しいのだろう。
だいたいはいつも横山とだし、村上はたまにだし、すばるなど案外レアキャラとも言える出現率なのだ。
今日は珍しい日やわ、と思いながら大倉はちらりと何気なく時計を見た。
もうそろそろ撮影も終わるはず。
確か最後は・・・亮ちゃんやったかな?
大倉がぼんやりと考えているのを後目に、村上は珍しくじゃれ合うような横山とすばるを目にしておかしそうに笑っていた。

「何してんの、あんたら」

腰に両手を当てて呆れたようにそう言う村上の前の前で、依然としてすばるは横山の腰にしがみつき、横山はそんなすばるを鬱陶しそうに引きはがそうとしていた。

「もーヒナおまえちょおこいつどうにかせぇよ。ほんまあつっくるしいねん」
「なーヒナー、ヨコめっちゃひやっこいねんけど。ええでこれ!」
「なにがええねんおまえ人を利用すんのもええ加減にせぇよ!」
「なんでお肉様がついてるのにひやっこいねやろ」
「まぁまぁ、お肉様と体温はあんま関係ないですよ」
「そうなんか。ええな、やらかいのにひやこいて。今の時期最高やな」
「確かにね。抱き心地ええのにひやこいて、ええね」
「な、ええよな」
「ええねぇ」
「・・・おっまえらほんまええ加減にせぇよほんまごっつむかつくねん最近痩せたっちゅうねん!」
「なんやオマエ主張したいんは結局そこか」
「1キロ痩せたらしいで」
「おっ、どれどれ・・・」
「ちょ、おいすばるっ。おまえどこ触ってねんこらー!」
「あんま変わった感じせぇへんけどなー」
「その子胸とかお腹より先に下半身が痩せるタイプやから」
「おいコラ村上おまえなんでそないなこと・・・ってすばる、さわんなっほんまにっ」
「おーなるほどなーちゅーか1キロなんてやっぱわからんて」
「確かにねぇ」

うんうんと頷き合う二人に横山はこれでもかと眉根を寄せ、未だ腰周りにしがみつく小さな身体を渾身の力で振り払おうとした。

「ほんま、ええから、どけっちゅーねんっ」
「おわっ、ちょ、ヨコちょーあぶないてっ」

こんなどうでもいいことで。
今ちょうど自分の荷物の中を漁っていた大倉がこの図を見ていたら呆れたように思っただろう。
全力を持って振り払おうとする横山と、何でかそれに全力で抵抗して踏ん張ってしまったすばる。
結果として、お互いまさに共倒れと言った様相で一緒に倒れ込みそうになる。

「ちょっとちょっと、あんたらほんまに危ないて・・・っと、」

咄嗟に村上は横山の右手をとって支えた。
おかげで横山は倒れる寸でのところで何とか踏ん張り、そんな横山にへばりついていたすばるも倒れずに済んだ。
三人は一瞬同時に息を止め、それからやはり同時にふうっと吐き出す。

「あぶなかったわ・・・」
「ほんまやでふざけんなよキミタカ」
「・・・元はと言えば誰のせいやねんおまえこそふざけんなよ」
「まぁまぁまぁ。どうでもええけど、あんたらええ歳してこないなことで怪我とかせんといてくださいね」

やれやれと村上が呆れた口調でそう言えば、すばるはもうこの一連のじゃれ合いにも飽きたのか、さっさと横山から離れて大倉の方に行ってしまう。
しゃがみこんで荷物を漁る大倉の横に同じようにしゃがみ込んでは右手を差し出し、どうやら後輩からおやつを巻き上げようとしているようだ。
それを見て横山は釈然としないものを感じたのか、眉根を寄せて唇を尖らせる。

「なんやあいつ」
「まぁ、すばるやからね」
「ほんま行動が突飛すぎるわ」
「すばるやからねぇ」
「なんでもかんでもそれで済ましたらあかんで。教育上ようないわ」
「教育上ねぇ・・・・・・まぁ確かに、俺も上を甘やかしすぎた自覚はあるけどもやな」
「あ?なんか言うたか?」
「いえ別に。なんでもないっすよ」
「あ、そ。・・・で、おまえの手も熱いねんけどええ加減、・・・」

さっきすばると一緒に倒れ込みそうになった横山を支えるため、咄嗟に握られた手。
それは未だ惰性とでも言うかのように握られたまま。
その手はやはり熱い。それはいつも通り。
それを正しく自覚して、横山は思わず言葉を途中で切った。
村上はそれには敢えて触れず、何事もなかったかのようにその白い手を握ったままでいた。
今度は逆に離されることのないその浅黒い手に、横山は怪訝そうな目を向ける。

「・・・ヒナ?」
「うん?」
「・・・あつい」
「ああ、うん。お前の手がひやこいねんて」
「・・・・・・」

昨日と同じ台詞。
横山は妙に落ち着かない気分でいた。
その手を、その手の温もりを、いつものように・・・確かにこんな仕事場ではそうないにせよ、そう珍しくもない感覚に身を委ねているだけだというのに。
昨日は安堵すら感じていたその手に、今日はもうそれを感じられなくなっていた。
むしろ今はその逆だった。
とにかく落ち着かない。

ただその落ち着かなさの正体に横山は気付いていた。
見ない振りをしていただけで。
もうずっとずっと感じていたし、気付いていた。
それは何も今自分の手を握る村上のせいではなくて。
それはむしろ自分のせいで。
罪深い自分のせいで・・・。

その時だった。
撮影を終えた最後のメンバーが控え室に入ってきた。
しゃがみ込んでおやつを漁っていたすばると大倉が真っ先にそれを出迎える。

「おー亮ちゃんおつかれ」
「あ、亮ちゃんも一緒に飯いく?」

横山は瞬間、弾かれたように顔を上げた。
村上に握られた手はそのままに。

「あ・・・」

そして一瞬遅れてそれを再び自覚しては、横山はゆっくりと村上に視線を戻す。
けれど村上は特に何を言うでもなく、それに小さく笑っただけだった。

「おつかれっす。・・・なに、みんなどっか行くん?」

錦戸は一通り控え室を見回す。
その途中には当然横山と村上の姿も映ったけれど、敢えてそこは触れずにすばると大倉の方を向いた。

「これから鳥鍋やでー。オマエも来るか、この際」
「俺とすばるくんと横山くんと村上くんで行くねん」
「へー・・・ええんちゃう。俺も行きたかったな」
「お、なんや亮、用事か」
「ああ・・・まぁ、そんなとこっすね」
「デートか?デートなんかっ?」
「まぁ、いいじゃないっすか。色々っすよ」
「マジでか!亮ちゃんやるやん」

珍しく錦戸がその手の話に乗ってきたことでテンションが上がったのか、すばるは身を乗り出して錦戸の顔を覗き込む。
興味津々と言った感じで輝くその悪戯っ子のような瞳に少しだけ苦笑して。
錦戸は手早く衣装を脱ぎ、私服に着替える。
手際よく素早いその行動はきっと急いでいるんだろうと思わせるに十分で、これは本当にデートなんかもしらん、とすばるは内心少し感心したように思ったものだった。

「あー、今日は暑いな・・・」

錦戸は一人呟きながらタオルで大雑把に顔から首を拭いている。
横山と村上もまたそんな錦戸を何気なく見ていた。
実際には横山はさりげなく視線を逸らしていたからちゃんと見てはいなかっただろうけれど。
その分村上は未だ横山の手を握ったまま、じっと錦戸を見つめていた。
錦戸は当然のようにその視線に気付き、返す。
その時二人の間に流れた何かを、すばるは、大倉は、そして横山は、僅かにでも感じることができただろうか。
ただたとえできたとしても、もう意味などなかっただろうけれども。
全てはもう変わってしまった。

今までのままでは、もういられない。

「ふぅ・・・」

着替えて、適当に荷物をまとめて。
錦戸はそこで一つ大きく息を吐き出す。
そしておもむろに、足取りに最早迷いもなく、横山の前に行った。
その視界には当然、村上の手に握られたままの白いそれも映っていたけれど。
錦戸はもうそれを見ないことにした。

「横山くん」

名を呼ばれた途端、横山は息を飲む。
この程度で一体何を緊張しているのかと横山自身思ったけれど、それはもういよいよ逃げ道がなくなったことを自覚しているとも言えて。
横山は無意識に、握られた手に力を込める。
浅黒い手は自然と握りかえしてくれた。
けれどもうそこに安堵感はやはりなかった。
むしろ苦しさが増すだけ。

「ねぇ、横山くん。申しわけないんですけど・・・これから、ちょっと付き合って貰えませんか」

そう言って真っ直ぐに横山を見る漆黒の瞳はやはり強い。
けれどそれは何となく、以前のものとは空気が違う気がした。
あんなにも焦り追いつめられているように見えた若い瞳は、今何かを吹っ切ってしまったようにも見える。
それがまた横山を落ち着かない気分にさせた。
一体錦戸の中で何が変わったのだろう。
横山には判らなかったけれど、ただ自分も何かしらの覚悟を決めるべき時が来たんだろうと、ただそれは自覚した。

「え、なに?亮、ヨコとどっか行くん?じゃあ俺らとは一緒に行かんの?」

事態を飲み込めていないすばるが大倉と二人不思議そうに三人を見る。
横山は咄嗟にちらりと二人を見て、何か言わなくてはと口を開きかける、けれど。

「まぁまぁ、ちょっと待ってなさいって」
「なんやそれ」
「ええからええから。おやつでも食べとって」

横山を遮って、村上はすばると大倉に笑いかけながらそんな風に言った。
すばるはそれに何か感じるものがあったのか、「ふーん」と気のない返事をしたかと思うと、未だぽかんと口を開けている大倉の腕を引っ張って無理矢理一緒にしゃがませた。
そして再びおやつを漁り出す。

そんな村上の行動に横山は軽く目を見開く。
今のはどういう意味なのだろうと、そう考えようとするけれど。
その隙は錦戸が与えてくれなかった。

「これで最後にします」
「え・・・?」

耳に飛び込んできた台詞に、横山は思わず錦戸の顔を凝視する。

「こんな強引なんは、これで最後にします。・・・せやから、お願いします」
「に、しきど、・・・」
「お願いします・・・」

そう言って頭を下げた。
彼の中で一体何があったのか。
どんな変化があったのか。
先日楽屋で横山を追いつめた時とはまるで違う、何か後のない覚悟みたいなものを秘めた瞳。

横山は苦しかった。
こんな風に頭を下げさせたかったわけじゃないのに。
錦戸がここまでする必要などどこにもないのに。
全て自分だけが負うつもりだったはずのものなのに。
守ってやりたかったはずの大事な彼に、自分は今何をさせているのか。
頭なんて下げなくていい。
どうすればいい。
・・・そう伝えさえすればいいのか。

「にしきど、おれは、・・・」

けれどもう横山も限界だった。
押さえ込むにも伝えるにも、気持ちはもう痛みを知りすぎてしまった。
錦戸は頭を下げたそのままにちらりと視線だけで横山を見上げる。

「おれは・・・」

我知らず握られた右手に力がこもる。
やはりそれは自然と握りかえされる。
けれど、まるで空気が固まってしまったかのようなその場に、柔らかで明るい声がただ響いた。

「行っといで」

耳に確かに届いた、その聞き慣れた声。
まるで親が子に言い聞かせるような、兄が弟に言い聞かせるような、いっそ恋人が言い聞かせるような。
そんな柔らかな調子で響いた言葉。
横山は呆然とした顔でゆっくりとそちらを向いた。

「ひ、な・・・?」

まるで大陽のような笑顔はそれでもそこにあった。

「ええから、行っといで」

錦戸もまた信じられないような面持ちで顔を上げた。
けれど横山に比べれば、それは多少なりとも予想できたことでもあった。
きっと村上がそう言うであろうこと。
だからこそ錦戸は踏み切れたとも言える。

「ええよ、大丈夫。大丈夫やから」
「ヒナ、ヒナ・・・」
「もう、ええねん。もうな、我慢せんでええから」
「ひ、」
「亮と、行っといで」

何が大丈夫なんだろう。
何がもういいのだろう。
何を我慢しなくていいと・・・。

横山は知っていた。
自分の罪を知っていた。
幼かった錦戸を想い、けれどその将来を思い、想いを殺して。
けれど自分はどうしようもなく弱かったから、想いを抱えたまま一人でいられなくて。
だからこそ誰かに頼らずにはいられなくて。
優しくて友達思いで、弱った人間を放っておけなくて、どうしようもない自分を無償で愛してくれた。
そんな親友を利用した。
その気持ちがただの友達のそれなんかじゃないことも、とっくに知っていて。
それでも傍にいてほしかったから、知らないフリをした。
抱きしめていて欲しかったから、一人にしないで欲しかったから。
見ないフリで利用した。
ずっと、ずっと。
横山は自分の罪深さを知っていた。
いずれはその罰が自分に下るのだろうと思ってもいた。
だから村上にならどんなことをされても構わないとすら思っていた。
贖えるものならば何をしたっていいと。
自分が浅ましくも錦戸を想い続ける代償として、村上になら何をされてもいいと。
思っていた、はずなのに。

「ヒナ、」

横山は泣きそうな目をして喉を詰まらせる。
それにこれ以上なく優しく笑いかけて、もう一度だけ手をぎゅっと握り、逆の手でその白い甲を優しく撫でて。

「もう、大丈夫やで。・・・行っといで?」


そして、その手を離した。


「あ、・・・」

横山は一瞬頭が真っ白になった。
これは昨日の朝の再現。
失われた温もり。
冷たいままの自分の手。
そしてきっと、これからそれが当たり前になる。

このどうしようもない依存こそが罪。
何をされても仕方がないと思っていた。
何をされてもいいと思っていた。
それが罪の償いだと思っていた。
けれど判っていなかった。
それでもその温もりだけは永遠だと思いこんでいた。
その手を離される、まさかそれが自分にとっての最初の罰になるとは思ってもみなかった。

「・・・横山くん、行きましょ」

呆然とする横山を見て、錦戸は小さく眉根を寄せる。
離されてまるで彷徨うようなその白い右手をぎゅっと掴んで、自分の方に引っ張る。

「錦戸・・・」
「行きましょ」

泣きそうな目にただ頷いて。
錦戸はそのまま横山を連れ去るようにして控え室から出て行った。






部屋はいつのまにか静まり返っていた。
けれど村上は何事もなかったかのように、未だ着ていた衣装を脱いでいく。
大倉とすばるは未だしゃがみこんだままだった。
けれどすばるだけは何を思ったのかすくっと立ち上がり、村上の方に向き直る。
その大きな瞳が鋭い色を帯びて村上を射抜くように見る。
それに村上は表情だけで苦笑した。
贅沢を言わせてもらえば、このもう一人の親友には知られたくなかった。

「・・・オマエは、アホか」
「なんですの、いきなり」
「アホかていうてんねん」

有無を言わさぬその迫力に、村上はまた苦笑するしか出来なかった。

「・・・せやな。アホかもな」
「オマエら、まだそないなことやっとったんか」
「まぁ、ね。でも、もう終わるて。・・・これで終わり」

最後の少しだけ頼りない言葉の響きに、すばるは何か悔しそうに口元を歪めて村上の胸ぐらを掴んだ。
それを見ていた大倉が無言で息を飲み、止めるべきかと咄嗟に立ち上がる。

「・・・おい、村上」
「なんですの」
「理解者のフリすんのも、ええ加減にせぇよ」
「・・・・・・アホですから」
「・・・ほんま、オマエはいつまで経ってもアホや」
「ええ、アホですから」

そう。
だから、その手を離した。










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(2005.8.5)






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