お前のためなら、何だってしてやれる気がしたんだ。










レイニーラブソング 1










ある雨の日の夜。
身体の芯から冷えるような冷たい雨。
そこから何とか身を守るように、傘の下へと身体を縮こまらせながら歩く。
やがて見慣れた我が家の塀が見えてきて、無意識にほっと小さく息を吐き出した。
冷えた空気の中でそれは白くぼんやりと揺らめいて。
視界をうっすらとぼかしていたそれが消えていくと、そこに見えたのは誰かの脚。
傘のせいで膝から下しか見えないような状態だったけれど、どうやら塀に寄りかかっているようだった。
人の家の前で何してんねん・・・と内心むかっとしたけれど。
今唯一見えるその脚、ジーンズに覆われた細いそれがぐっしょりと濡れていて。
更にそれだけでは飽きたらず水を滴らせていた。
恐らくは傘を差していないんだろう。
こんな夜遅く、しかも降りしきる冷たい雨の中。
酔狂を越えてどこかおかしい奴なんじゃないのか。
そんなことを思って恐る恐る傘を後ろに傾けてみる。
けれどその、酔狂を越えておかしい奴は・・・よく見知った顔だった。

「にしきど・・・?」

思わず動きが止まる。
呆然と見つめた視線の先、頭のてっぺんからつま先までぐっしょりと濡れそぼったその姿。
綺麗なその黒髪はまさに烏の濡れ羽色だった。
出逢った頃から早数年、すっかり大きくなった身体だけれども。
それでもまだ俺には及ばない。
その身体がびしょぬれになった様子はどうにも見るに忍びなく、しかも何処か危うげで。
すぐさま駆け寄り、今更とは思いつつも傘に入れてやる。
覗き込んだ顔はやはりぐっしょりと濡れていて、その頬は僅かに紅潮していた。

「なにしてんねんおまえは!こない濡れて・・・傘は?顔赤いで?熱あるんとちゃうか?
だいたい、一体何しに・・・」
「大丈夫っすよ。赤いんは・・・熱やなくて、単に酔っとるだけやから」

俺の言葉を遮りながらそう言ってうっすらと笑うその顔は、あの頃とは違って随分と大人びた。
男前と言って差し支えない代物だったけれど。
それでもこの男はまだつい最近二十歳になったばかりだ。
酒も法律的に許されるようになったとは言え、まだまだ飲み方なんて知らない子供だと言っていい。
しかも酒なんて、大して好きでも強くもないくせに。
そんな未だ慣れない酒を飲んで、しかもこの冷たい雨に打たれて?

一体何があった?

喉元まで出かけた言葉を飲み込むようにしながら、その額に張り付いた髪をそっとかき上げてやった。
触れた先の濡れ髪が予想以上に冷たくて。
一瞬息を飲む。
けれどそれを悟られぬようにゆっくりと息を吐き出しながら、前に下りてきてしまった髪を何度も横にやる。
錦戸はただ黙ってされるがまま。
それでもその瞳はじっと俺を見上げてくる。
昔から意志の強い瞳は酔っていても変わらない。

「よこやまくん、なんや今日やさしいですね」

幼い頃を思い出させるその少し辿々しく愛らしい口調。
けれどあの頃よりも随分大きくなった今、それは恐らく酒の力によってなされたもので。
やはり言葉通り、だいぶ酔っているようだ。
明日のことも考えずに飲むなんて、若い時にはよくあることだ。
俺にだって経験はある。
けれど真面目なこの後輩は、恐らく一度たりともそんなことをしたことはなかったはずだ。
俺たちの・・・特にこいつの立場からすれば、それは自分だけでなく周りに多大な迷惑をかけることになるから。
特に今は新しいグループでデビューして、こっちとの掛け持ちで大忙しの時期なのだから。
責任感の強いこいつは誰よりも自覚していたはずだ。

「俺はいつでも優しいで」
「ああ、そうっすね」

今度はクスクスと笑う。子供みたいなそれ。
さっきの薄い笑いと、今の無邪気な笑いと。
大人と子供がまぜこぜになったようなその様子に内心困惑を隠せなかった。
けれど子供であろうと、大人であろうと、どちらであろうとも。
錦戸亮という男はいつでも責任感の強い男だった。
それなのに、今のこいつの様子は傍目から見てもボロボロで。
強かに酔っている・・・明らかに酒に呑まれているくせに、その瞳だけは素面のままで。
どうしようもなく傷ついていて。
先輩として、兄貴分として、叱らなければならないはずなのに。

ふと触れてみた、その頬。
ひどく冷え切ったそれがどうしようもなく哀しくて。
俺はただ今こいつをどうしたら暖めてやれるのかと、そんなことばかり考えていた。

「な、横山くん・・・」
「ん?」
「俺ねぇ、あんたにお願いがあって来たんすよ」
「おねがい・・・?」

何かと軽く窺うように顔を覗き込んだ俺に。
錦戸はにこりと笑ってみせた。
出逢ったあの頃のように。
何をおいても守ってやりたいと、俺にそう思わせた純粋なまでの笑顔で。


「ヤらせて」


一瞬時が止まったかと思った。
俺は間抜けに口を開けたまま、ただ呆然とその顔を見るだけで。
その笑顔とその言葉とがどうしても俺の中で繋がらない。
何とかその意味を頭の中で理解しようとするけれどままならない。

「な・・・に、言うてんねん、おまえ、」
「そのまんまやけど」
「アホか・・・あんま笑えん冗談やめろ。関西人失格やで・・・」

何とか平静を保ったつもりだった。
けれど目の前の顔はどこかおかしそうに笑うばかりで。
まるで混乱する俺を嘲笑っているかのようで。

「冗談でこんなこと言えへんわ」

そう囁くように言う声は低く、冷えた外気に溶ける。
そしてそれは見えない鎖となって俺に絡みついてくる。
ただみっともなく狼狽えては身動きすら出来ない俺を、更に動けなくさせる。

「にしき、ど・・・」
「なぁ、お願い。ヤらせて。抱かせて。あんたの中に挿れさせてや」
「にしきど・・・っ」

言うな。
そんなこと言わないでくれ。

なんで。
なんで。

「なぁ・・・」
「ぅ・・・」

さっき触れていたのとは逆で、今度はその濡れた手で首筋に触れられた。
冷え切ったそれ。
それなのに何故だろう。
どうしてこんなにも熱く感じる?
その冷えた身体の中にある全ての熱をかき集めたみたいなその手。

「俺の下で喘いで、乱れて、めちゃくちゃになって、」
「は・・・っ」
「全部、俺にくださいよ」

その手に力がこもる。
自然と喉元が苦しくなる。
だからなんだろうか。
俺は何一つ言葉を発せなくて。
ただ代わりに心がぎゅうぎゅうと締め付けられて。
悲鳴を上げる。

なんで。

言葉にならない声は雨に紛れてしまって、錦戸に届くことはなかった。
出逢ったあの頃から今までの俺たちの時間、全てが。
この冷たい雨にびしょ濡れにされて、押し潰されていくのが見えた。

「なぁ・・・横山くん、お願い。抱かせてや」

首にかかっていた手に引き寄せられた。
至近距離でかち合うその視線は強いまま。
けれどそれは確かに傷ついていて。
ただ雨に濡れているだけじゃない。
俺がずっと守りたかったその純粋な瞳が、泣いているように見えて。

抱かせて、とそう呟いた言葉が。
俺には確かに「助けて」と聞こえたんだ。

「・・・ええよ」

雨に紛れてしまいそうな程に小さな呟きは。
けれど今度は確かに届いたようで。
錦戸は薄く笑った。
そして躊躇なく俺にくちづけた。
長年の兄貴分と弟分の関係を断ち切った初めてのそれは、何のこともなくあっさりと為されてしまった。
今まで積み重ねてきた想い出全てが音を立てて崩れていくような気がした。
それでもまるで抵抗できなかったのはどうしてだろう。
思わずぎゅっと瞼を閉じる。
それをどうとったのか、錦戸はひどく優しい声音で囁く。

「大丈夫。ちゃんと優しくするから。・・・これでも、それなりに経験は積んでんねんで?」
「別に・・・誰もそないなこと気にしてへんわ」
「そう?でも下手よりは上手い方がええやろ?痛いよりは気持ええ方がええやん」
「もうええ・・・」
「ああ、そっちが初めてかどうかにもよるか」
「もうええ言うてるやろ」

もういい。
もう喋らなくていい。

崩れ去る想い出も、大事に暖めてきた想いも。
全てを振り切るようにして瞼を開ける。
そこに飛び込んできた瞳。
強い意志を秘めたその奥にある、どこか頼りない光。
夜の闇に押し潰されてしまいそうなそれを見つけて、俺は冷たい外気ごと言葉を飲み込んだ。

「・・・とりあえず、家入るか」

錦戸は一瞬だけ、戸惑うような探るような、そんな複雑な色を映した瞳を俺に向けたけど。
すぐに小さく頷くと、俺の手をぎゅっと握って後を着いてくる。
俺もそれを握りかえした。
冷えた手も、重なり合えばそれは途端に熱を持つ。

お前が望むなら何だってしよう。
お前が大事だったから。
初めて出逢ったあの時から、他の何をおいても大切だったから。

ある日俺の前に突然現れた真っ白な光。
誰にも穢されたくなかった。
けれどそれが無理だと言うのなら、せめてその傷を舐めよう。
この身体でいいのなら、いくらでもやろう。
傷ついたお前が求めるのが俺ならば。
それでお前を助けることが出来るのならば。

偽善でもいい。
欺瞞でもいい。

俺はお前のためなら、何だってしてやれる気がしたんだ。










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(2005.3.30)






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