一度目は目の錯覚?
けれど二度目は確信。
レイニーラブソング 5
その日はレギュラー番組の収録で、昼過ぎからスタジオに集まっていた。
とは言えメンツは6人。
今日から三日間、NEWSの仕事で東京に行っている亮ちゃんと内はいない。
眠気を押さえきれず欠伸をする俺を後目に、
一番最後にやってきた横山くんは、何だか緩慢な動きで首を回している。
「なんや横山さん、調子悪そうやねぇ」
「うおぉ・・・。だるいー」
「なに、風邪か?」
コーヒーを手渡しながら覗き込んでくる村上くんに
彼はその甘ったるい声をより間延びさせながら、ふぁ、と小さく欠伸をしてみせる。
「あんな〜めっちゃ強いラスボスを倒した後のな、感動のエンディングがたまらんかってん」
「・・・はい?」
「せやからこれはその感動と引き替えの代償やねん。・・・はぁ、感動や。思い出すだに泣けるわ」
「・・・ゲームかいな。やるなとは言わんけど、そんなんなる前に止めぇや」
「おまえあの感動を目の前にして俺が止められる思うんか!」
「知りません。生憎と俺がやるのはウイニングイレブンだけですから」
村上くんが呆れたようにそう言う。
相変わらずと言えば相変わらずだけど、ちょっと心配してみればこの有様なんだから。
そうして何をするでもなくぼんやりと二人のやりとりをぼんやりと眺めていたら。
そのぽってりした唇が尖らせられつつ、いつもの減らず口を叩いていた。
「ちっ!サッカーサッカーてつまらん男やわー。
・・・なー大倉ー!おまえならこの感動判ってくれるよな〜?」
あ、こっち来た。
確かに俺もゲームはようやるけど。
「・・・あの、俺まだそれクリアしてへんから。ネタバレせんでくださいね」
「おっ、ほんまか?なんや〜そうなんか〜・・・」
ニヤニヤしとる・・・。やな予感。
「じゃあいっちょ俺が教えたるわー。あんな、あの最後の城に行く時のな・・・」
「あっせやから止めてくださいって!ちょ、ほんま勘弁して!おもんなくなるでしょ!」
「や〜そう言われるとな〜俺のお口が勝手にな〜?・・・そんで、主人公が伝説の武器を」
「やーめーてー!俺今日帰ったらやんの楽しみにしとるんですからっ」
「ひゃひゃひゃー。たまらん!俺そういう反応だいすきっ」
「サイアクやわこの人・・・」
判ってたけど。
嫌んなる程判ってたけど。
他人をからかうこと、おちょくることを趣味にしているような人だから。
でもとりあえず、他人はいいけど俺は勘弁してほしい。
そんな俺の反応に気をよくしたのか、ますます喋ろうとするそのつやつやした唇。
ちょっと手で塞いでみようか・・・なんて不遜なことをちょこっと考えてみる。
・・・でも、そこでふと気付いた。
いつもなら、そこだけ女のパーツなんやないの?なんて思う程に赤い唇が。
今日は何だか少し血色が悪い気がする。
普通の人と比べればそれでも十分赤いけど。
この人の赤さに見慣れた俺にとっては、少しの違和感を感じる。
ああ、でも、そうか。
調子が悪いのは事実なんだっけ。
「横山くん、」
「ん?なんや、感動のエンディングでも教えたろか?」
「や、それはほんま勘弁して下さい。・・・大丈夫ですか?」
「は?」
「や・・・調子悪そう、なんで」
「・・・眠いなぁ。しかもだるいわぁ」
「あー・・・そうですか。お大事に・・・」
「なんやそれ」
その間抜けな言葉に、横山くんは呆れたように笑った。
俺の言葉はあっさりと肯定された。
でもやっぱり違和感はどこかに引っかかるように残ったまま。
けれどそれ以上の返しようがなかった。
「ヨコー、ちょおこっち来てや。今日のロケのことやねんけど」
「おー。そろそろいっちょ仕事すっかー」
向こうから村上くんに呼ばれ、横山くんは身を翻した。
最近だいぶ毛先の伸びた薄金茶の髪がさらりと揺れる。
それが普段は覆い隠された白い首筋を、きまぐれに覗かせた。
「あ・・・」
そこに見たものに、俺は思わず小さく声を上げてしまう。
「ん?」
ふと怪訝そうに振り返った横山くんに慌てて頭を振った。
それを特に気にした様子もなく、彼はすぐに行ってしまったけれど。
俺はその場で軽く俯いた。
今見たものを考える。
その白い白い首筋に、赤い痕。
一度目は錯覚?
けれど二度目は確信。
あの時。
雑誌の取材が夕方からだったのに、俺は時間を思い切り間違えて昼過ぎに行ってしまったあの日。
控え室もまだ空いていなかったから。
仕方なく喫煙所で時間を潰していたら、何故かふらりとやってきて。
その横で俺が寝ると言うと、まるで一人にされるのをつまらないという様子で文句を言ってきたあの人。
よく見たら、なんだか随分と調子が悪そうだった。
いや、別に顔色が悪いとか、だるそうだとか、覇気がないだとか・・・そういうわけじゃなかったんだけど。
なんだか確かにいつもとは違う気がした。
言葉では上手く説明できない。
敢えて言うなら、その表情?
あんな表情初めて見た。
出逢ってからもう何年も経つのに、初めて。
だからガラにもなく、戸惑った。
でもやっぱり何がどう違うのかは、俺には上手く説明できないから何も言わなかったんだけど。
寝ます、と一方的に宣言してさっさと目を閉じて。
すぐさま襲ってきた眠気に任せて意識を沈ませた・・・はずだったのに。
数分もしたら何故かまたすぐに意識が戻ってきてしまった。
そして、それ以上は何故か眠れなかった。
眠気は十二分にあるというのに。
眠いのに眠れないってむずむずする・・・なんて思って少し身体を揺らした。
するとその拍子に、自分の肩に感じた重み。
ぱち、と目を開けた。
自分の左肩を見れば、薄金茶の髪がさらさらと揺れている。
そこにはあの切れ長の瞳をそっと閉じて、やすらかな寝息を立てる白い顔があった。
黙っていれば随分と綺麗な顔をした人。
なんだかんだ言うてた割には結局寝たんや。
少し呆れたようにそうも思ったけど。
まぁ時間もあることだし俺もまた寝よう・・・と、瞼を再び閉じようとしたその時に、見てしまった。
・・・見てしまった、と。
そう感じるのは、きっとそれがどういう経緯で出来たものなのかを俺にだって判っているからで。
けれどそう感じてしまえば何故か目を逸らすどころかまじまじと見てしまう自分がいて。
野次馬根性ってやつか、とどこかずれたことを思いつつ。
俺にもたれかかることによって覗いたその白い首筋を眺めた。
その白い白い首筋に、赤い痕。
まぁこの人だっていい大人だし、そんな関係を持つ人だって一人や二人いるんだろう。
いや、こう見えて意外と不器用な人だから二人以上は無理かな。
遊びにしたって、むしろめんどくさがりそうな人だし・・・。
眠れないからってそんな痕を眺めている自分というのは、ちょっと褒められたものじゃない。
そうは思いつつも、俺はやっぱりこの人から目を逸らすことが出来なかった。
今僅かに身動いだ拍子にその首筋は再び髪に隠されてしまったけれど、
今度は代わりにより見えるようになったその眠る表情が、俺の目を釘付けにしたから。
「・・・どしたん?」
返ってくる返事は当然ない。
眠っているんだから当然だ。
でも思わず呟いてしまった。
さっきよりもっと色濃く滲み出た、俺が初めて見るその表情。
眠っている時は無意識だからなんだろうか。
喋って誤魔化されることもないから。
だから俺なんかにでも判るんだろうか。
そんな、何かに追いつめられたみたいな顔。
どんな顔だって訊かれたって知らない。
でも漠然とそんな気がしたんだ。
たとえば誰かの手を求めているみたいな。
仮にもしそうだとして、それを素直に言える人ではないことは知っていたから。
いつも通りに振る舞っていたこの人に、一体今何が起きているのか。
俺は漠然とした不安みたいなものを感じて何気なく、その何処か青白く見える寝顔を覗き込んだ。
だからと言って何が出来るわけでもなかったけれど・・・。
「・・・何してんねん、お前」
「あ・・・亮ちゃん」
随分と冷たい声だったから、一瞬判らなかった。
確かによくそっけない言いぐさをする人だけど、声音まで冷たいなんて滅多になかったから。
俺は亮ちゃんが現れたことに気付かなくて。
その声が降ってきた方をはたと見上げたら、彼は胡乱気な瞳で俺と横山くんを見下ろしていた。
「でっかいの二人で肩寄せ合って何なん。きっしょい」
「あー、なんや俺ら二人して時間間違えてもーてん。しゃあないから、ここで時間潰し」
「ふぅん・・・。時間潰しか・・・」
亮ちゃんはふっと探るような視線を俺に向けてくる。
いや、俺だけでなく眠る横山くんにも。
なんだろう?
何かおかしい?
俺が不思議そうに見上げても、亮ちゃんは特に何も言わなかった。
ふと身を屈め、横山くんの寝顔を覗き込む。
「・・・呑気に寝とるわ」
その呟きはなんだか優しい声音だったから。
俺は我知らず少し安心していた。
さっきの冷たい声は、きっと気のせいだったんだと。
「あーうん、俺が寝た後すぐ寝てもうた。俺には寝るなーみたいなこと言うたくせに」
「・・・で、なんでそのお前は起きてんねん」
「あー・・・なんや目ぇ醒めてもうて。・・・ようわからんけど。ほんま眠いねんけどな」
「寝ればええやん」
「寝たいねんけど」
「ええよ、寝とれ。後で起こしにきてやるから」
「え、ほんま?」
「嘘ついてどないすんねん」
「あーなんや亮ちゃんが優しいから」
「しばくぞ」
「うんじゃあ寝るわー」
おやすみー、と俺が言おうとしたら。
俺の肩に掛かっていた重みが僅かに動いた。
横山くんが起きたのかと一瞬思ったけど、違った。
何かと見れば、亮ちゃんが横山くんの手を引いて起こそうとしていたんだ。
そして俺は何故か、気付けばその手を遮って横山くんを引き留めていた。
「・・・なんやねん、この手は」
「いや・・・亮ちゃん、あの、」
「なに」
「後で起こしにきてくれるんとちゃうの?」
「来るけど」
「じゃあ、」
「けどこの人は起こしていくわ」
「え・・・でも、」
俺は咄嗟に言葉に詰まる。
何を言えばいいのか判らない。
何を言おうとしたのかも。
ただ何となく、今こんな顔で眠っているこの人を
せめて寝かせておいてあげてほしいと思ったし。
何より、亮ちゃんのその手が
横山くんのうなじ辺りの薄金茶の髪をうっすらとかき上げて
首筋に触れていたから。
明らかに、そこに何があるのか判っている仕草。
あの、赤い痕、・・・。
「・・・なんやねん。なんかあるんか?」
「や、」
何より、やっぱり気のせいじゃなかったから。
その冷たい声音。
そんな声を出す人に、こんな状態のこの人を連れていかせるのが何だか嫌だった。
ただ、その声はどうやらこの人に、というのではなくて。
むしろ俺に向けられているものだというのは今判ったことだけど。
「あんな、なんや横山くん・・・ちょっと調子悪そうやねん」
「は?・・・ほんまか?それ」
途端に心配そうな声。
逆に俺はまた少しホッとする。
「うん・・・。あんま顔色とかよくなかったし、・・・んと」
「なに。はっきり言えや」
「あー・・・ちょっとだるそう、やったし。風邪かなんかなんかなぁ?」
正直その言葉は今咄嗟に思いついた言葉だった。
でも今まで見たこともないような表情をしていたから、なんて。
そんな曖昧な説明で、この人が手を引いてくれるとは思えなくて。
・・・我ながら、何をそんなに必死になっているのかもよく判らなくなっていたけれど。
「そうか・・・」
亮ちゃんはそう呟いて何か考えるような仕草をする。
俺の言葉をそのまま受け取ったみたいだった。
単に心配しているのか・・・それともそう信じるに足るだけの事実を何か知っているのか。
そこまで訊く気はまるでなかったからとりあえず黙っておいた。
「・・・ま、ええわ。じゃあ後で起こしにきてやるから。頼むな」
え?何を?って、一瞬思ってしまってからすぐ気付く。
それは当たり前だけど、今俺の肩を枕代わりにして寝ている人のこと。
亮ちゃんがあんまりにも普通に、まるで当然のように言ってくるから。
「あー、うん。よろしくな」
少し反応が遅れてからようやく頷く。
どうやらNEWSの方の取材の関係で少し早く来ていたらしい亮ちゃんは
そっちの打ち合わせに今から行くんだと言った。
遠ざかっていく足音を聞きながら、ゆっくり瞳を閉じた。
肩にかかる重みが何となく心地よく感じられる。
今度こそようやく眠れそうだ・・・と感じた矢先。
足音がまた近づいてきた。
でもようやく眠れそうなのに目を開けるのも億劫で、そのままでいたら。
亮ちゃんの、またあの妙に冷たい声、が。
自分にとって邪魔なものを排除するみたいな、その声が。
「・・・大倉。二度目はないで」
やっぱり俺は目を開けなかった。
けれど特に反応は求めていなかったのか。
今度こそ亮ちゃんの足音が遠ざかって、消えた。
そう。だから。
俺は結局、眠ることなんて出来なかったんだ。
6人での収録が終わると、各々雑談混じりに着替えながら帰っていく。
今日はさっき横山くんに危うくネタバレされそうになったゲームをやろうと思っていたのに。
スタジオにうっかり忘れ物をしてしまった俺は少し遅れて控え室に走っていた。
その途中の廊下で村上くんとすばるくん、マルとやっさんに遭遇した。
村上くんとすばるくんはたぶんデートか何かだろう。
だって心なしか村上くんが浮かれていたし。
マルとやっさんはまたつるんでどっかに遊びに行くんだろう。
いっそ付き合ってんのとちゃうかってくらい、このコンビは仲が良すぎるから。
みんなといくつか言葉を交わし別れてから控え室に戻る。
扉を開けると、横山くんが一人で着替えていた。
ちょうど衣装を脱いで私服のシャツを手に取ったところ。
こちらに向けられた背中の線が随分とゆったりしていて、
あーやっぱ女みたいなラインしとるわこの人、とぼんやり思う。
しかもその白さ。
色の白い女が好み、なんて言っていた昔のツレを思い出す。
すぐに痕が残るからいいんだと言っていたあいつは、今どうしているだろうか。
・・・別にこの人は女じゃないんだから、そんなことを思い出すのも甚だおかしな話だったけれども。
「っ、な、大倉か・・・。おまえ唐突に入ってくんなよ」
「あ、すんません。急いどって」
「まぁええわ・・・。はよ着替えろや」
横山くんは何故か少し慌てた様子ですぐさまシャツを羽織る。
・・・けど、もう遅い。
見てしまったから。
昔のツレの言葉を不意に思い出したのは、確かにおかしな話だったけれど。
それはあながち無関係とも言えなかったからだ。
白い肌に赤い痕は、これでもかと映える。
まるでその存在を主張するかのように。
まるで独占の証とでも言うかのように。
さっき偶然に垣間見た首筋だけじゃなかった。
その背中に、腰の辺りまで・・・もしかしたら、今見えない下半身にまで?
色濃く刻まれた赤い痕。
きっとこの人を独占する証。
「横山、くん・・・」
ぽつりと呟いた言葉。
その先をどう続けて良いのかよく判らなかった。
俺がどうこう言うものではないし、言っていいものでもないのかもしれない。
「・・・なんや?」
でも、もう見ない振りは出来なかった。
だってあの日と同じ。
・・・いや、あの日以上かもしれない。
振り返ったその顔。
何かに追いつめられたような表情。
その綺麗な白い顔に色濃く差した影。
何かに疲れたみたいな、でも何処か張りつめたような。
切れ長の瞳は変わらずそこにあるはずなのに、何故かともすれば揺らぎそうに見える。
初めてだった。
そんな表情、初めて見た。
だから気になったんだ。
そして、もう気になるじゃ済まなくなってしまった。
一度目は目の錯覚?
けれど二度目は確信。
「・・・訊いても、ええですか?」
「物によるな」
「じゃあ、訊きます」
俺の心の中にいつのまにかばらまかれたパズル。
そのピースはバラバラに散らばっていて、その完成型はよく見えない。
ただ、断片的なそれぞれがどう組み合わさっていくのか、何となく想像してみた。
俺が見たこともないような表情で、死んだように眠っていた横山くん。
彼をなんだかとても優しい眼差しで、声音で見守るくせに、
俺がその間に入ろうとしたら途端に冷たい声を向けてきた亮ちゃん。
その白い肌にくっきりと赤い痕を残していた横山くん。
そしてそれに躊躇いもなく触れた亮ちゃん。
それでも足りないピースが多すぎるんだ。
だからまだよく判らない。
でもひとつ言えるとすれば。
「横山くんにそんな顔させるんは、亮ちゃんですか?」
横山くんは何も言わなかった。
一瞬だけ驚いたようだったけれど、その表情はすぐさま元に戻って。
ゆるゆると頭を振るだけ。
言い返しもしないのは、図星だからなのか。
それともそこまでする程もないくらいに的外れなものだったのか。
けれどその反応はどちらでも、俺にとってはもう問題じゃなかった。
「・・・大倉」
「はい」
「何もないで。・・・もう、これ以上何もない」
そう言って薄く笑う顔をじっと見つめる。
「大丈夫やって。・・・おまえ、鈍そうに見えて意外に鋭いとこあるみたいやけど」
「・・・ようわからん」
「あー別にわからんでもええて。おまえはそれでええねん」
「わからん・・・」
本当にわからない。
何が、大丈夫だって?
「・・・・・・もう壊れるもんなんて、何もないしな」
じゃあ、そう言って笑うあんたの、一体何が壊れた?
一度目は目の錯覚?
けれど二度目は確信。
そして三度目は、もう見たくない。
俺は心に散らばったパズルを、ようやく自らの手で組み立てようとし始めていた。
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(2005.5.6)
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