出来るなら、あなた自身を守ってあげたかった。










レイニーラブソング 9










横山くんが怪我をしてからもう二週間が経つ。
懸念されていた仕事への影響は幸いにもレギュラー番組の収録を一本休んだだけで済んだ。
雑誌の撮影や取材もかぶらなかったし、今はプロモーション時期もコンサート時期もちょうど外していたから、それは運がよかったのかもしれない。
今は肩の怪我もほぼ治って完全に復帰していた。
ただ例の胃の方に関しては目に見えるものではないから正直よくわからないけれど、食事を取る合間に薬を飲んでいる様子が見られたから、良くなっていると信じるしかない。
もう既に以前から処方されていたはずの薬を飲んでいる様子が今頃になって見られるというのは、きっと横山くんのそういう意思表示に違いなかった。

そして今はNEWSが新曲発売のプロモーション真っ最中で忙しく、亮ちゃんと内は俺たちと一緒に仕事をする機会がまためっきり減っていたのも、ある意味運がよかったのかもしれない。
もちろんそれは俺たち周りの人間が思うことでしかなかったけれども。
向こうでの仕事が忙しいせいもあって、この二週間で横山くんと亮ちゃんが顔を合わせたのはたったの二回だ。
しかもその二回とて二人は一度も言葉を交わさなかったし、視線も合わせなかった。
それは、二人が一緒の場所にいると他のメンバーが妙に緊張した雰囲気で様子を窺っているせいもあったし、亮ちゃん自身が頑なに視線を合わせようとしなかったからでもある。
横山くんはしきりに亮ちゃんを気にしていたけれど、周りの空気と亮ちゃん自身の態度で自分を取り巻く現状を理解したのか、やはり話しかけることはなかった。
いつだってグループのことを考えている彼が、この状況でこれ以上場の空気を乱すようなことを出来るはずもなかったのだ。

ただ言ってしまえば今の状態も既に普通ではなかった。
確かに元々収録中はあまり二人で喋ることはない。
そういう時に絡むメンバーは他にいるからだ。
けれど殊プライベートにおいては、少なくともここ数ヶ月は亮ちゃんが大阪にいる時ならばまさにべったりと言っても差し支えないくらい一緒にいた。
仕事が終わればいつも二人で帰っているようだった。
それが今やぱったりとなくなった。
たとえそれ自体が二人の間に起きた何らかの事態を示していたに他ならずとも。
それでもずっと一緒にいた二人が急に離れてしまったのは事実だ。
そしてこの現状はきっと異常でしかない

けれどそんなことを言う権利は少なくとも俺にはなかった。
他ならぬ俺が、亮ちゃんに向かって横山くんと距離を置くべきだと言ったのだから。
そして村上くんもまたそう。
二人の間に何があったのか判らなくとも、だからこそ互いに傷つけ合っているようにしか見えない二人を放っておけなかったから。
せめて一時でも引き離して時間を置くことでこれ以上傷を増やさぬようにと。
・・・ただそれは俺たち周りの勝手な判断でしかないし、それは所詮応急処置ですらない。
こうすることで二人の傷が癒えるとは到底思えない。
俺たちには実際その傷口は見えない。
一体何がその凶器となっているのか判らない。
それは所詮本人にしか判らないことだし・・・もしかしたら本人にだって判らないのかもしれない。

だとすれば、他に一体何が出来るのだろう。
俺はこの二週間出来るだけ横山くんの傍にいるようにしながらずっと考えていた。
同じように、亮ちゃんには内がついているようだった。
もちろん示し合わせたわけでもなんでもなく、それは極々自然なことだ。
内はどうやら亮ちゃんにただならぬ想いを抱いているようだったから放っておくなんて出来なかっただろうし、何より向こうでの仕事も一緒だからこれ以上の適任もいない。
そして俺もまた、横山くんを放っておくことなんて出来なかった。
「普段通り」という殻を纏いながら、ふとした拍子にぼんやりと何処とも知れない場所を茫洋と見るあの感情の抜け落ちたような表情。
亮ちゃんが傍にいる時僅かに見せていたあのどうにも堪えたような傷ついたような表情、それすらも既にそこにはなかった。
何もかも、なくしてしまったみたいに。

俺はあの人に一体何をしてあげられるんだろう。






その日の収録にもやはり亮ちゃんと内は参加出来なかった。
今頃東京でレコーディングの真っ最中だろう。
楽屋には横山くんと村上くんとすばるくんと、そして俺がいるだけだ。
マルとヤスは既に支度を終えて二人で帰ってしまっていた。

「あー、今日のはしんどかったなー・・・」

横山くんが肩を回しながらだるそうに言った。
今日の収録は久々のスポーツで、しかもなかなかに運動量も多くて確かにまるでコンサートを一本やったみたいな疲労感がある。
鏡台に向かって化粧をガシガシと落としているすばるくんの横で、村上くんが私服に着替えながら小さく笑った。

「でも今日はヨコ大活躍やったやん」
「今日は、やないで。今日も、や」
「ああはいはい、今日もね。いつも通りの大活躍ね」
「この俺の右腕が唸ってやなぁ、最後の決定打を・・・」

俺はすばるくんの向こう側でやはり鏡台に向かって髪を直しながら二人の会話を何気なく耳に入れていた。
思う以上に動いたせいでセットしていた髪がすっかりボサボサだ。
整髪料を手にとって軽く流すように手櫛で梳いていると二人のおかしそうな笑い声が聞こえてくる。

「しっかし最後のアレ最高やったな。バチコンやったったで」
「見事決まったよなぁ。ヤスとヨコの連携プレー」
「今日は俺もできる子やったやろ」
「あれ?今日も、とちゃうのん?」
「・・・今日も、な。今日も最強にできる子やったわーおれー」
「あはははは!あんたそこで間違えたらあかんやろ」

何気なしにちらりと鏡越しに二人を見やる。
楽しそうに声を立てて笑う村上くんに、「ちょっと間違えただけやんけっ」と子供みたいに唇を尖らせる横山くんはさっきから何度も肩を回していた。
それは右肩。
二週間前に怪我をした、そこ。
もしかしてまだ痛むのだろうか?
そう振り返って声をかけようとした。
けれど村上くんもやはり気付いていたようで、会話が途切れたのを見計らってさりげなく何でもないように言った。

「ヨコ、肩大丈夫なん?痛んだりしてへんの?」
「あー・・・まぁ、別に痛くはないな。クセがついてもアレやから一応解しとっただけや」
「そっか。・・・よかったなぁ」

その言葉に横山くんはふっと村上くんを見る。

「ほんまよかった・・・」

村上くんのその一言は本当に安堵したような響きで。
浮かんだ笑顔はホッと緩んでいて。
その「よかった」が一体どこまでを指しているのか。
少なくともそれは、横山くんの中に今あるスイッチみたいなものを押してしまったようだった。

「よかった、か」
「え?」

急に抑えたトーンで呟かれた言葉に村上くんはぽかんと目を瞬かせる。
それに横山くんは皮肉っぽく唇を歪めて目を眇めた。

「・・・トラブルの元が離れて、いつも通りになって、よかったか?」

一種嘲るようにすら聞こえたその声音。
部屋の空気が固まった。
俺は思わず息を飲んで二人を凝視してしまったし、視界の端ですばるくんも手を止めたようだった。
そして村上くんは呆然とした表情で。
それをぼんやりと暫し見つめてから・・・けれど横山くんはすぐにハッと我に返ったような様子で慌てて口元を抑えた。

「や、なんでもない、なんでもないねんっ・・・。ごめ、ひな・・・」

申し訳なさそうに眉を下げて頭を振る。
けれどそれ以上村上くんを直視出来ないでいる。
今呟かれた言葉が失言だったと他ならぬ本人が、そう態度に示しているのだ。
つまりはそういうことだ。
その言葉は村上くんを、いや、横山くんから亮ちゃんを引き離した俺らを・・・非難しているのだ。

村上くんは再びふっと顔に笑顔を浮かべる。
けれどそれは自嘲気味で苦しそうなそれだった。

「ごめんな、ヨコ・・・。ああ言うしか、とりあえずお前と亮を離すことしか、思い浮かばんかってん・・・」

その言葉はいつも明るく活力に満ちた村上くんの声とは思えないくらい力なく、罪悪感に満ちていた。
それは二週間前亮ちゃんに向けてそう言った時以上に苦しそうで。
横山くんはそれをちらりと横目で見て、すぐさま逸らして、片手で顔を覆った。

「・・・おい、なんやその言いぐさは」

けれども二人の間に割って入ったすばるくんが白い手を掴み、逸らされた顔を自分の方に向けさせた。
逃げることは許さないとでも言うかのように。
横山くんは一瞬びくりと肩を揺らして恐る恐るそちらを見下ろす。
すばるくんの表情には確かな怒りがあった。
どうしようもない、やるせない、そんな怒りが。

「オマエ、一体何様のつもりや?誰に向かって、何の通りがあってそないなこと言うてんねん、おい」
「すばる、止めぇって・・・」
「オマエはちょお黙っとけ!」

慌ててすばるくんの狭い肩を掴んで押さえようとする村上くんを逆に後ろにやって。
その大きく切れ上がった瞳は横山くんを糾弾する。

「ヒナが好きであんなん言うたとでも思ってんのか?亮に、オマエに近づくなて、好きでそんなん言うたとでも思ってんのか?
あいつを弟みたいに可愛がっとったんはオマエだけやないねんぞ。そのあいつにそんなん言わなあかんかったコイツの気持ちがオマエにはわからんのか!」

鋭く通るその声は白い顔を歪め、そして力なく俯かせる。
反論すら許さなかった。
それは逃げることを許さない、真実を求める声だ。
責めるものではない。
二週間前病室で亮ちゃんにも向けられたそれは、けれど決して誰かを責めたいわけではないんだろう。
すばるくんはやるせないだけなのかもしれない。
大事な後輩が、親友が、自分達に何も言わずにただ傷つけ合っていくのが耐えられないだけなのかもしれない。

「オマエはなぁ、いっつもそうやねん。自分で全部しょいこもうとして、こんなんなっても何も言わんで!
自分一人だけ傷つけばええとでも思ってんのか?・・・アホちゃうか!それが結局他の人間も傷つけんねん!」
「ごめ、ん・・・」
「オマエ、結局何をしたかったん?あいつに、何をしてやりたかったん?
どういうつもりかしらんけどな、結局オマエは何一つ亮のためになんぞなってへんねん!」
「・・・・・・」
「アホかっ・・・」

息もつかせぬその言葉に、白い顔は完全に頭を垂れている。
すばるくんも言うだけ言うとばつ悪そうに視線を逸らしてしまった。
そしてそこに深いため息が一つ降りると、その主はすばるの腕を引いて横山くんから引き剥がした。

「もうええやろ、すばる。もう十分や。もう止めとこ。俺らまでこんなんなってどないすんねん」

さっきの勢いもとうになくしてしまって、すばるくんはぎゅっと眉根を寄せて村上くんを縋るように見上げた。
村上くんはそれに安心させるように笑いかけ、その艶やかな黒髪を優しく撫でてやって。
それから俯いた白い顔をそっと覗き込むように見やる。

「ヨコ、気にせんでええよ。今は自分のことだけ考えとってええから。な?」

出来うる限りで優しくかけられるその言葉に横山くんはそっと顔を上げる。
けれどそこにあったのは酷く苦しげに歪んだ顔。
真実と向き合わせようとする声も、向けられる優しさすらも、何もかもが凶器になってしまう・・・そんな今の彼の心を映し出したそれだった。
俺は咄嗟に駆け寄ろうとしたけれど出来ず、ただその表情に釘付けにされてしまった。
だって判ってしまったから。
その表情一つで判ってしまった。

応急処置ですらない。
それは傷口を広げただけだった。

「俺は、助けてやりたかった。守ってやりたかった。そんだけやったのに・・・」

そう言って震える唇はいつもの鮮やかですらある色をなくし、ただ悔いる言葉で自らを雁字搦めにするだけ。

「そんだけのつもりやったのに・・・俺が、あかんかったから、間違えてもーたから・・・」

もしも間違えたとすれば。
それは俺達もそうなんじゃないだろうか。
事態は何一つとしてよくなってなどいなかったのだから。
もう誰が何を間違えたのかすら判らない。

「もう、あかんのかなぁ・・・」

消え入りそうな言葉は、横山くん自身まで消し去ってしまいそうな程に力なくて。

「あかんのかなぁ・・・」

村上くんとすばるくんですら固まってしまったように手を伸ばせずにいるのを後目に。
俺は気付けばその白い手をぎゅっと掴んでいた。

「・・・・・・大倉?」

緩慢な仕草でその顔がこちらを見上げる。
パチパチと幼げに瞬く瞳に笑いかけた。
何のてらいもなく。
ただ笑いかけて言った。
それしか出来なかったから。

「横山くん、帰りましょ。ご飯一緒に食べにいきましょ」

あと俺に出来ることは、なんだろう。






最近見つけた居酒屋に横山くんを連れて行って、食べて、飲んで、喋った。
さっきの様子では気乗りしないだろうかとも思ったけれど、横山くんは存外普段通りだった。
いや、普段よりも喋っていたかもしれない。
二人でいるといつもあまり喋らなくなることを考えれば、それはやはり無理をしていたんだろう。
それでも沈み込ませているよりはマシだ。
ただやはり胃の調子は未だ良くないのか、食べる量は随分少なかった。
いつもなら俺と同じくらいは平気で食べる人だったのに。
今日は俺の半分も食べていない。
ただそれは予想していたことだった。
むしろ、その小食を補うようにいつも以上に飲んでしまったことの方が問題だった。
飲み過ぎですよと諫めても、「毎日薬飲んどったから平気や。穴とかもう塞がっとるもん」と言っては取り合おうとしないから。
たとえ本当にそうだとしても、未だ食欲もまともに戻っていない状態でアルコールばかり摂るなんていいはずがなかった。
けれどそれでも俺はその酒を止められなかった。
せめて今は酒なんていうものの力を頼ってでもこの人に逃げ場所を与えてあげたかった。

すばるくんはさっき真実と向き合わせようとした。
けれども真実ばかりが薬になるわけじゃないことはよくわかった。
真実は時として何よりも残酷で、傷口を広げるばかりだから。
これだって間違っているのかもしれない。
けれどもう何が正しくて何が間違っているのかなんて、正直な話誰にも判断出来ない。
俺はただどんなものでもいいから、この人に手を差し伸べてあげたかったんだ。



「おーくらぁー」
「はいはい、もうすぐですよ」
「もーのめへーん」
「はいはい、いっぱい飲みましたねー」
「んー・・・」

結局いつも以上に酔った横山くんは最早自分で歩くこともままならなくなってしまって。
仕方なしに俺が横山くんの家まで送ることになった。
タクシーから降りると、横山くんの腕を肩に回させて支えながら何とか門扉を開け、玄関まで行って。
俺にぐったりともたれかかる身体の腰元から、いつもチェーンで繋がれた鍵を拝借して扉を開けた。
深夜だけに家族はもう眠ってしまっているのか誰も出てこなかったから、静かに上がらせてもらう。
何度か遊びに来たことがあったから横山くんの部屋もどこにあるのかは判っている。
ゆっくりと慎重に階段を上がり、音を立てないように扉を開けて中に入ると、朝起きたまま放置されていたであろうぐしゃぐしゃに乱れたベッドの上にゆっくりとその身体を寝かせた。

「横山くん、着きましたよ?」
「んん〜・・・おうち・・・」
「そうそう、おうちですよー。もうそのまま寝ます?トイレとか大丈夫ですか?」

持ってきていた荷物をそこら辺に置いて。
ごろりと転がる身体を上から覗き込むようにして問いかけると、横山くんは夢の世界に半分意識を置いてきたような状態でむにゃむにゃと呟く。

「ねる・・・といれ・・・・・・おしっこしたい・・・」
「えっ、ちょ、じゃあ行ってきてくださいよっ」
「ねむたいー・・・おしっこー・・・」
「はよ行ってきてっ。その歳でおもらしとかシャレにならんからっ。はよっ」
「ええええ〜・・・んん〜・・・」

出来ればこのまま寝かせてやりたかったけれど、さすがにトイレはまずい。
ゆさゆさと揺さぶり起こしてやると、何だかひどくめんどくさそうに緩慢な仕草ながらフラフラと起きあがって部屋を出て行った。
その後ろ姿を見送ってから、どうせならトイレまで着いていってやった方がよかったんかな、とはたと思う。
まぁさすがにそこまでしなくともトイレは二階にもあるから大丈夫だろう。

「はぁ・・・。戻ってきたら帰ろ・・・」

一息ついて自分の荷物を確認する。
あとタクシーを呼んでおかなくては。
この時間では電車もバスもとっくにない。
バッグの中から携帯を取り出そうとすると、無機質な着信音が鳴った。
自分のものじゃない。

「・・・こっち?」

横山くんの小さなバッグからはみ出た携帯が小さく振動しながらその着信を告げている。
扉の方を一度見やって、それからゆっくりとその携帯を手に取って開いた。
こんな深夜にかけてくるくらいだ、よっぽどの用事だろう。
しかも番号を教えている人間自体が極端に少ない横山くんの携帯に。

内心、もしかしたら亮ちゃんかもしれないと思った。
けれどそんなことあるわけもなかった。
亮ちゃんのあの様子じゃ自分から連絡してくるなんてありえない。
連絡なんて、出来ないだろうな・・・。
自分で距離を置けと言っておきながら、なんだかやるせない気分になるのは自分勝手だろうか。

「・・・え?」

けれどそのディスプレイに表示された名前を見て自然と声が漏れてしまう。
それは思いも寄らない名前だったから。


『山下智久』


確かによく知った名前ではある。
自分と同い年の、けれど随分と華やかな容姿と人を惹きつけて止まない絶対的なスター性みたいなものでもって、今や絶大な人気を誇る彼。
東京と大阪という活動拠点の違いやキャリアの違いからか、正直あまり交流はなかったし、まともに話したことも数えられる程度しかない。
横山くんは彼と仲が良かっただろうか?
携帯で番号を教え合う程?
しかも実際に電話をかけてくる程に・・・?
確かに自分よりは親しいのかもしれない。
けれど横山くんと話していて山下の名前が出たことなんて今までほとんどなかった。
あるとすれば、そう・・・・・・それはNEWSでの亮ちゃんの話が出た時。
あっちのグループでの亮ちゃんの仲間。

やはり自然と繋がるのはそこしかなくて。
俺はついその着信を受けていた。
繋がった携帯に声が聞こえてくる。
それは確かに山下のものだ。

『・・・あ、横山くん?今日は遅くなっちゃってすいません』

今日は?
じゃあ、この電話は今日が初めてじゃないってことだ。
そんなにも頻繁に電話し合っているんだろうか。

人にかかってきた電話をとるなんていい趣味とは言えない。
判っていながらも俺はついそのまま携帯を耳に当てて黙り込んだ。
山下はとったのが俺だなんて当然判っていないからそのまま話し続ける。

『今日はラジオのプロモーションがあって、ついさっきまでやってたんすよ。
で、こんな時間になっちゃったんですけど、今大丈夫ですか?』
「・・・」
『・・・横山くん?』
「・・・」
『横山くん?あれ?聞こえてます?横山くーん?』

さすがにこのままでいるのはまずい。
何て言えばいいのか判らないままに少し慌てて声を出した。

「・・・あ、おれ、その、」
『え?・・・誰?横山くんじゃないだろ。誰?』
「えっと・・・俺、大倉」
『えっ?大倉?え、あ、・・・あー、久しぶり・・・?』
「ん、久しぶり・・・」

久しぶりという程会っていたわけでもない。
ただこの状況ではそれを言うのが精一杯だろう。
いきなり人の携帯に出ておいてそう言って貰えただけでも良かったのかもしれない。
山下が温厚なタイプで助かった。

『んー・・・と、元気?』
「ああ・・・まぁ、そこそこ・・・」
『そっかー・・・。えっと、横山くん、いないの?』
「あ、今トイレ行っとる。俺いまちょうど横山くん送ってきたとこで。あの人ちょお酔ってて」
『そうなんだ。そっかー・・・。じゃあ悪いからまた明日にでもかけ直そうかな。
じゃあ大倉、この電話のことは特に伝えなくていいからさ、』
「あっ、ちょ、ちょお待って!待って!」
『え?』

電話を切ろうとしたのを慌てて引き留めた。
引き留めた理由は訊きたかったからだ。
訊きたかったのはもしかしたら、と思ったからだ。

「なぁ、言えへんならそんでもええねんけど。・・・なんで横山くんに電話してきたん?」
『・・・・・・』

携帯の向こうが急に黙り込んでしまった。
やはり教えてはくれないか。
ただそれはこの電話の理由を、俺がぼんやりと想像したそれを、明確なものにした気がする。

「・・・あー、やっぱ、ええわ。ごめんな。じゃあ、」
『亮ちゃん』
「え・・・?」
『亮ちゃんがね、こっちにいる時の様子を教えて欲しいって、言われたから』

さっき黙った時間はなんだったんだろう。
そう思わずにはいられない程に、山下は急にスラスラと喋り始める。

『つい先週くらい。俺ら新曲のプロモーションが始まってさ、亮ちゃんと内もまた結構こっちの仕事で東京来るようになった頃かな。
斗真経由で横山くんから電話が来てさ。今までそんなの一回もなかったから驚いたけどね』

斗真くん・・・なるほど。
彼は山下とは仲がいいみたいだし、横山くんともまた仲がいい。
メンバー以外で横山くんの携帯番号を知っている数少ない人間だと聞いた。

『俺も亮ちゃんのことは正直気になってたから、ちょっと話したりして。
・・・まぁ、そんで、俺の時間が空いた時に連絡するってことになったわけ』
「そっか・・・そうやったんや・・・」
『なぁ、大倉』
「ん?」
『横山くん、大丈夫?』
「・・・」

窺うようなその声からは確かに心配気な様子が伝わってくる。
もう電話越しの山下にさえ横山くんの今の状況は判る程なのか。

『俺さぁ、亮ちゃんのことずっと心配だったんだよ。NEWS結成してからなんでか妙に俺のこと避けるしさ。
訊かないと訊かないとって、思ってたけど。でもどうにも壁作られてて、踏み込みづらくて。
だから横山くんがいるからそっちで何とかしてくれるかなって、ちょっと他人任せなとこがあった。悪かったと思うよ。
だけど・・・正直、横山くんも、やばくない?俺が言うことじゃないかもしれないけど、なんか心配だよ』
「・・・ん、せやな」
『・・・あんま話せないか』
「ん、ごめん」
『んーいいよ。じゃあそろそろ切るから』
「うん。ありがとう。・・・えっと、」
『ん?』
「亮ちゃん・・・よろしくな?」

最後に携帯向こうから聞こえた声は微笑まし気な様子と、同時に苦笑と、両方を併せ持っていたと思う。

『それ。・・・横山くんからも毎回言われるよ。じゃな』

その電話の意味。
横山くんが山下に電話を頼んだ意味。
それは単に亮ちゃんの現状を知りたいっていうだけのものじゃない気がした。
それはもっともっと大事な、何か・・・。


携帯を切って閉じるとまた元のバッグに戻しておく。
そこではたとする。
なんだかんだと優に数分は話していた。
けれども未だ横山くんはトイレから戻ってくる気配がない。
もしかしたらトイレでそのまま眠ってしまったんじゃないだろうか。
仕方なしに見に行こうと扉を開けた。
けれど開けきれなかった。
途中で何か床に転がったものにつかえたからだ。

「・・・・・・横山くん?」

どうやら扉の前で転がってそのまま寝てしまっているらしい。
俯せになった身体からはよくよく耳を澄ませば小さな寝息が聞こえる。

「まったくもう・・・。ちょっと横山くん、そんなとこで寝んで、きちんとベッドで寝ましょうよ。ねぇ」
「ん、・・んー・・・」

何とか身体をずらさせてから扉を開け、腕を引いて抱えると部屋の中に入れてベッドに寝かせた。
白いシーツにぼふっと受け止められた身体はそのまま眠ったかと思うと、それを何気なく上から覗き込んだ俺に向かってふっと目を開けた。
目と目が合う。

「あ、」

とろんとしたその目は確かにほとんど夢の世界に身を置いているとしか思えないものだった。
けれども何故かしっかり俺を映してもいた。
いや、本当に俺を映しているかは判らない・・・ただ、自分を見下ろす存在を映していた。

そこで俺はふとした疑念を抱く。
横山くんは何故トイレに行った帰りにあんな風に扉の前で眠ってしまっていた?
トイレに座ってそのまま眠ったのなら判る。
けれどもわざわざ扉の前で足を止めて、そのまま・・・なんて。
扉の前で足を止める理由があったとしか思えない。
・・・俺と山下の電話を、扉越しに聞いていたんだろうか。
いや、聞いていたとしても判るのは俺の声くらいだろう。
まさか山下の声までは聞こえるはずもない。
それに俺は大したことは言っていない。

「・・・横山、くん?」

とろんと虚空を見つめるように俺を見上げる切れ長の瞳は、アルコールのせいでぼんやりと潤んでいる。
その薄赤く染まった白い顔にはまるで感情が見えない。
この人は普段よく喋るからあまりそうは思われないけれど、その実酷く無機質で妙に人形めいた顔の作りをしている。
それは確かに美しいと言えるけれども、正直あまり見ていていいものには感じなかった。
そこに映すべき色とりどりの感情何もかもをなくしてしまったみたいで、とても、哀しくなるから。

「よこやまくん・・・?」

このまま寝かせてやるべきだろう、そうは思いつつ。
俺はなんだかこんな表情をしたままのこの人を放っておけなくて、呟くように名を呼んだ。
すると何度目かでその潤んだ瞳がパチパチと瞬いて。
ふっと撓んだかと思うとやんわりと笑った。
なんだか妙に嬉しそうに、微笑んで。
その白い両腕がゆっくりと俺に伸びてきて・・・。

「なんやー・・・どこ行ってたん、おまえー」
「え?どこ、て・・・や、別に、」
「おそいやんかー。もう夜中やでー」
「そらそうなんですけどね、確かに夜中・・・・・・て、横山くん寝ぼけとるでしょ?」

アルコールのせいでいつもよりも熱を持った白い両腕が、力を持って俺の首に絡まろうとするから。
酔っぱらいに絡まれるのは勘弁だとばかりにやんわりとそれを離させようとして。
けれどもやはり妙に嬉しげに耳元で呟かれた声に、俺は硬直するしかなかった。

「りょーお」
「え?」

その名前が一瞬何か判らなかった。
けれど次の瞬間には全てを理解した。

「りょおー・・・おそかったやんか・・・。やっとかえってきたん・・・」
「よこやま、くん・・・?」
「おれ、待っててんでー・・・?りょお・・・」

亮、亮、亮。
いつも以上に舌足らずで甘い声にそう繰り返し呟かれる名は。
自分を傷つけて、自分が傷つけて。
そうしてお互い追い詰め合ってしまった相手の、名で。

「りょお・・・ごめんなぁ、まちがえてもーた、けど・・・」
「よこやまくん・・・」
「ほんでも、おれなぁ・・・?もうあかんかなぁ・・・あかんかもしれへんけど、いややぁ・・・」
「・・・・・・」
「まってんねんから、はよ、かえってこいって・・・りょお・・・」
「・・・・・・」
「りょお、りょお・・・ちゃんとここおるから、はよ・・・」

ぎゅう、としがみつかれた。
引き剥がすことなんてもう出来なかった。
代わりに恐る恐るやんわりと腕を回した。
随分と柔らかで暖かな身体はやはりアルコールのせいなのか。
もうよく判らなかった。
繰り返しその名を呼ぶ声に頭の奥が麻痺してしまったように、何も考えられなかった。

「ごめん、ごめん・・・りょお・・・あやまるから、ゆるしてや・・・」

俺は間違っていた。
勘違いしていた。
横山くんは亮ちゃんに傷つけられているのだと思いこんでいた。
その凶器のような愛に傷つけられているのだと、勝手に。
けれど違った。
そんなんじゃなかった。
横山くんを傷つけていたものは、あんな表情をさせていたものは、亮ちゃんじゃなくて。


『助けてやりたかった。守ってやりたかった。そんだけやったのに・・・』


横山くんは、亮ちゃんを助けられなかったその事実に、傷ついていたんだ。
大事な大事な亮ちゃんを。
何より大切な亮ちゃんを。
助けられなかった、守れなかった、そのことに・・・。

一体何から亮ちゃんを助けられなかったのか、それはやはり判らない。
けれど横山くんにとっては何を置いてもそれこそが大事だった。
それこそが全てだった。
亮ちゃんは、横山くんの、全てだった。

応急処置でもなんでもない。
傷口を広げただけ。
横山くんから、その全てとも言える存在を奪っただけ。

「りょお・・・」
「きみ、くん・・・」
「んー?りょお?どしたー?りょお・・・」

りょお、りょお、りょお。
そんなにも幸せそうに彼の名を呼ぶ横山くん。
今傍にいない彼をそれでも呼び続ける横山くん。
俺は一体何をしてやれる?

「きみくん・・・」
「なんやーりょおー・・・」

彼の代わりに呼んでやることしか出来なかった。
そして代わりに抱きしめてやることしか。
それはきっと横山くんの中では幸せな夢でしかないだろう。
それでいい。

「きみくん、おやすみ・・・」
「りょお・・・りょお・・・」

囁いて頭を撫でた。
亮ちゃんがどうやっているかまでは判らないけれど。
ただ彼の代わりにと、そう思いこんで。
それにすら幸せそうに頬を緩める白い顔をじっと見つめた。

今の俺に出来るのは、その幻のような幸せな一時の夢を守ることだけだった。










NEXT






(2005.10.12)






BACK