いつかは目覚める。そこに彼がいる限り。
レイニーラブソング 11
傍目には平穏な日々だった。
それなりに忙しく、それでも特に何事もない日々だった。
それこそ横山くんがあの日言ったように、「トラブルの元が離れた」ことによって。
もちろん誰も、メンバーの誰だってそんなことは思っていない。
色んな性格の奴がいるけど、みんなこのグループが大好きで、それぞれを大事に思ってる。
誰一人とて欠けて欲しくはないと思ってる。
亮ちゃんも横山くんも、また元通りになればいいと、本当に心から思ってる。
けれどそんな気持ちは今の横山くんには届かない。
いや、届く届かない以前に、あの人はそんなことはとうにわかっているんだろう。
そんなことは知っている。
メンバーを誰より信頼しているあの人だから。
でも今の横山くんの心は一つのことしか見えないように、考えないようにと、自分から見えるものを狭めている。
万が一にも他の人間の手によって優しさや、ましてや救いなどが与えられぬように。
それこそが自分への罰であるかのように。
ひたすらに、まるで償いをするかのように、今いない亮ちゃんのことだけを考えて一人孤独でいる。
早く帰ってこいと。
待っているから早くと。
どうか許して欲しいと。
あの夜、酒で朦朧とした意識の中、そう縋るように呟いては俺にしがみついてきたあの白い両腕。
決して細くも華奢でもないのに妙に頼りなく感じた身体を、せめて安らかに眠り、夢だけでも幸せなものであるようにと祈って、朝まで抱きしめていた。
亮ちゃんを真似て「きみくん」と呼んでやる度、微睡みの中で幼げにふにゃりと笑って子供みたいに頬をすり寄せたその様。
やんわりとその甘い色の頭を撫でれば、同様に甘く舌足らずな声で亮ちゃんの名をとろけそうな調子で呼んだその様。
自分があの夜だけでも、錦戸亮になれればいいのにと思った。
亮ちゃんになって、大丈夫やで、帰ってきたから、もう大丈夫やできみくん、もう悲しませへん、って。
そう言ってあげたかった。
でも俺は亮ちゃんじゃない。
錦戸亮には、なれない。
そう思い知ったあの夜明けの時間は、俺の心に妙な何かを刻んだ。
何故そんなことを思ってしまったのかは、自分でもよくわからない。
横山くんを放っておけなかったから、同情したからと、そう理由づけるにはあんまりな感情だったから。
あの人のあまりにも深く、想像もできなかった程に一途な想いに引きずられたのかもしれない。
そうだとしたら、自分もたいがい単純な男だと思った。
でもそれでいい。
単純な男のままでいさせて欲しい。
どうか早く亮ちゃんが戻ってきて、元気になって、どんな結末が最善なのかはわからないけど、俺が安心できるような、しゃあないなーほんまにって、そう呆れ混じりで笑えるような。
そんな横山くんを見せて欲しい。
それが願い。
そう願うだけでなければならない。
そうでなければ、俺まで変わってしまう。
俺は変わるわけにはいかないのに。
レギュラー番組の収録を終えて控え室に戻ってきたら、そこにはソファーにひっくり返っている白いおっさんがいた。
「う〜わ〜・・・ひどっ」
「・・・・・・あー?なんやおまえ、なんか文句あるんか」
衣装を中途半端に脱いだだけのほぼ下着姿でだらしなくひっくり返っているその姿は、お世辞にもアイドルとは思えない。
いつものことと言えばそうだけど、相変わらずひどい。ていうか年々ひどなってる。
ちょっとは気ぃ遣おうや・・・その緩んだ腹もちょっとはしまおうや・・・。
上着を脱ぎながらため息をつくけれど、横山くんは気にした様子もなく、ごろりと頭を動かしただけでソファーに寝転がっている。
疲れたのだろうか。
眠るわけではないけど、何か言うのも億劫な様子でじっとしている。
何か言葉を紡ぐだけでも力を消耗するみたいに、今生きているだけで精一杯みたいな・・・そんな、考えるのも嫌になるような様。
最近はこんな姿が特に多い。
あの夜からは特にそうだ。
あの時横山くんは酷く酔っていて、俺しがみついては「亮、亮」と繰り返していた。
まるで子供みたいに縋り付いて、なくしてしまった温もりを必死に繋ぎ止めるみたいにしていた。
俺を亮ちゃんだと思いこんで、つい本音が奥底から滲み出てしまったのだと思った。
けれど今になれば思う。
それは俺の思い違いではなかったのかと。
ただその事実を肯定するのは意識的に避けていた。
肯定したら、その瞬間、俺は「単純な男」ではいられなくなってしまうと自ずとわかっていたから。
「・・・よーこやーまくーん」
そして俺はと言えば、そんないつもの調子で近づいて、そのソファーの膝かけの部分に腰掛けてその様子を窺うだけ。
横山くんは一瞬顔をこちらに向けるけれど、すぐさまふいっと逸らして目を閉じてしまった。
まさか眠る気はないだろう。
けれどそうやって横になって目を閉じている姿は、否が応でもあの夜を思い起こさせる。
腰掛けた体勢からその白い横顔をじっと見つめた。
「ねぇ、風邪引きますよ?そないパンツいっちょじゃ」
「・・・パンツいっちょちゃうわ」
「似たようなもんでしょ」
「おっちゃん疲れてんねん」
「うん、もうそれは見るからにわかりますけどね。ほんまひっどい」
「・・・さっきからひどいひどいてなんやねんおまえ」
「せやかてほんまにひどいねんもん」
ねぇ、本当に、今のあなたは酷いですよ。
背中を丸めて、無防備な姿でくったりと身を投げ出して、白いを通り越していっそ青白いような顔で、力なく目を閉じて。
中途半端に開かれた手からたくさんのものをなくしていくような、そんなあなたを見ていたくない。
それは誰だって同じなのに。
そんなあなたが求めるのは、ただ一人で。
「ごはん、行きます?」
「あー・・・せやな、うん・・・・・・でも、やっぱ、やめとくわ」
「・・・そう?」
「ん」
なんとなく、予想はしてた。
あの夜以来なかった誘い。
次は断られる気がしていたから、言わないでいた。
俺が思っていることが肯定されてしまう気がしたからこそ、言わないでいた。
けれどわかっていながらそれを口にしてしまった俺はなんなんだろう。
「よこやまくん」
横山くんの目は開かない。
こちらを向かない。
横山くんは俺に手を伸ばさないようにしているんだ。
俺に頼らないようにしているんだ。
今俺に頼っている意識があるからだ。
あの夜、酔って俺を亮ちゃんだと思いこんで縋り付いてきた横山くん。
けれどやはり思い違いだった。
酔って亮ちゃんだと思いこんでいたんじゃない。
横山くんの中の亮ちゃんは、そんな酔ったって、誰かと、たとえメンバーだろうとも間違えるような存在じゃない。
わかってたんだ。
あの時横山くんは、俺を俺だと認識した上で、亮ちゃんのつもりで縋りついてきたんだ。
「よこやまくん?・・・俺に罪悪感は、いらんよ?」
その目が開いた。
ああ、だめだ。
隠す気なら最後まで隠し通してくれればよかったのに。
知らないフリをしてくれればよかったのに。
でも自分から振っておいてその台詞もないな、と心の中で思いもした。
もう単純な男でおりたくないんかな、俺は。
強くて仲間思いで優しくて、弱い、横山くん。
それだけ傷ついてもなお誰かに手を伸ばすことができない。
弱って、ただ目の前にいた相手を愛しい相手だと思いこんで、しがみついてたった一夜の幸せな夢を見ることだけでも、罪だと感じてしまうのだとしたら。
確かにそこに必要なのはもはや「単純な男」ではないのかもしれない。
そう、この気持ちが単純な同情ではないのだとしたら、それは。
「・・・あ」
携帯が鳴った。
この着信音はあの夜にも聞いたもの、横山くんのものだ。
横山くんはそれでも暫くじっとしていたけれど、鳴りやまないそれに酷くめんどくさそうに身体を起こすと、テーブルの上に放置してあったそれに手を伸ばした。
けれどディスプレイに表示されていた名前を見て目を見開く。
「・・・」
もしかして、と思った。
今度こそ亮ちゃんが、と。
けれどそれは違ったらしい。
横山くんがすぐさま携帯を耳に当てて口にした名前。
「・・・内?どした?」
努めて優しい口調で問いかけてやる。
それは末っ子へのいつものそれでもあり、同時に恐らく緊張の裏返しでもあっただろう。
今の横山くんにとっては内はイコール、亮ちゃんの一番近くにいる存在なのだ。
たとえ亮ちゃん本人ではなくとも、確実に亮ちゃんに繋がる何かだと感じたのだろう。
そう思った俺の思考はどうやら当たっていたようで、携帯を耳に当てた横山くんの顔は次第に強ばっていく。
未だ俺と横山くんしかいない控え室は静かで、どうやら内が一方的に喋っているのか横山くんは相槌を打つくらいしかしないから、俺にはその携帯向こうの内の声が微かに聞こえる。
何やら尋常な様子ではなかった。
何か、そう・・・叫んでいるような・・・泣いているような?
向こうで何かあったのは確実だ。
「あの、」
何が、と思わず口にしようとして、できなかった。
電話向こうの内の取り乱した様子はこちらにさえ伝わってくる程だというのに。
それを受ける横山くんの顔からは、どんどん表情が消えていく。
真っ白い顔が無機質さだけを湛えて酷く冷たく、恐ろしい。
さっきまでの無気力なそれじゃない。
「・・・・・・わかった。内、ありがとな。気ぃつけて帰ってくるんやで?」
横山くんは最後にようやくそれだけ口にして、携帯を手放した。
どうやら内が帰ってくるようだ。
そう言えばそろそろNEWSの新曲プロモーションも一段落着く頃だから。
ということは、亮ちゃんも帰ってくる。
けれど俺はそれを口にすることもできなかった。
酷く無表情で無機質だった、その顔が。
今度はじわじわと内側から迸るような意志を帯びていて。
きつい切れ長の目が一度瞬いたかと思うと、赤いぽってりした唇がキュッと引き結ばれた。
まるで押し込められていた何かが、炎のように吹き出すかのような。
横山くんの中の半ば死にかけていた感情という感情が一気に目覚めるような。
現実には目に見えるはずもないそれらが、何故かその時見えた気がした。
「よこやま、くん・・・?」
けれど横山くんは答えない。
放り出した携帯を再び手に取ると、迷うことなくどこかへ電話をかける。
当然相手は気になるけれど、今や何か強い意志を持ったその唇が紡いだ名に、息を飲まずにはいられなかった。
「・・・社長?今ヒマですか?」
そもそもがなんで社長直通の電話番号を知っているんだとか。
社長相手にその第一声もないだろうとか。
そんな当然の台詞も浮かびはしたけれど、それはこの人ならあり得るとも思えたから口にはしなかった。
俺でさえ知っている。
この人は昔から社長のお気に入りだった。
けれど今の問題はそんなことではなくて。
内からの電話、つまりは亮ちゃんに関する何かを聞いた横山くんが、すぐさま社長に電話をかける。
今目の前にある事態は社長にも繋がるようなことなのだ。
亮ちゃんに、一体何があったんだろう。
「・・・そうですか。じゃあ、夜かけ直します。・・・わかってるんでしょ?ほんまは」
ただ今の俺には、あまりにもその表情が鮮烈すぎて、それ以上のことを考えられなかった。
横山くんが、内の電話で一体何を知らされたのかはわからない。
亮ちゃんのことであるということしか。
でもそれで十分でもあった。
傷ついた心。
罪悪感に満たされた感情。
死にかけていたその何もかも。
そこに追い込んだ原因が亮ちゃんならば。
またそれを目覚めさせるのも亮ちゃんしか、いなかったんだ。
「亮にもしものことがあったら、あんたでも許さへん」
電話口で平然とそう言う横顔は、俺達が昔から頼ってきた横山裕のそれだ。
今目に見える気さえする鮮烈な炎のような感情。
亮ちゃんだけが目覚めさせることができるそれ。
横山くんが必要とするのは、もはや「単純な男」なんかじゃない。
そして他の誰かでもなかった。
「ははっ・・・。間一髪、やったー・・・」
思わず額を抑えて笑った。
よかった。
俺は単純な男のままでいられそうだ。
そう、よかった。
本人からそう思い知らされる前で。
横山くんは、幸せで不幸せな一時の夢から目覚めた。
言うまでもない。
目覚めさせたのは、紛れもなく亮ちゃんだ。
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(2007.5.31)
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