泡沫 3
薄暗い店内に白い煙を燻らせる、やはり白いその指を錦戸は暫し無言で眺めた。
横山はそれ以上口を開こうとしない。
錦戸の存在を意識からシャットアウトするかのように。
それにふっと薄く表情だけで笑って錦戸はおもむろに胸元から小さな黒革の手帳を取り出す。
職業柄必須とも言えるそれはいかにもな仕事熱心さを表すように、既にかなり使い古され薄汚れていた。
それは売れっ子ジャーナリストの影の努力を裏付けるものに他ならない。
けれど同時に何事においてもスマートな印象のある錦戸が持つにはどこか不釣り合いでもあった。
「あの一連の騒動、最終的には歴史に残る美談で終わりましたけどね」
その手帳をめくりながら唐突に話し始める錦戸に、横山はそれでも小さく煙を吐き出すだけ。
錦戸は特に気にした様子もなく、手帳の1ページを眺めながら思い起こすように呟く。
「僕はその後の取材も欠かしていないんですよ、実は。
試合中に死んだ悲劇の天才ボクサーの弟がその兄の心臓を貰い受け、そして兄の意志を継ぐ。
・・・既にそんな美談だけがひたすらにクローズアップされて、その周辺に目を向けられることなんてもうあまりありませんが」
ペラリ、もう1ページがめくられると同時、横山が手にした煙草を灰皿の上に翳して小さく灰を落とした。
錦戸はそれをちらりと見やってから更に続けた。
「他の奴らには見えていないような部分にこそ、あっと驚くような事実が転がっているものです。
いや、事実は常に進行形で転がっていくもの、生まれていくものと言えるかもしれません。
それを見逃さない目こそ、この職業で成功する秘訣でしょうね」
色気すら感じさせる低めの声音で流れるようにそう言った錦戸。
それに横山はやはり何も返すことはなかったけれど、ただ短くなった煙草を灰皿に押しつけて離した。
つまらない戯れ言を、そんな調子で。
けれど横山のその仕草に錦戸は楽しげに表情だけで笑いながら、少し身を乗り出して白い顔を覗き込んだ。
同時に、手にした手帳を灰皿の上に覆うように置く。
白い煙が黒革の手帳に遮られる。
「・・・大倉忠義、憶えていますか?」
それでも返ってくる言葉はなかった。
ただ錦戸にはそれで十分だった。
その淡い色をした切れ長の瞳がゆるりと自分に向けられたから。
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