5.敵は誰だ










剣と剣がぶつかり合う金属音、合間に発せられる怒号。
段々と近づいてくるそれを耳にしながら、アントーニオはゆっくりと一つ一つ装備を身につけていく。
パチンとはまる胸当ての留め金の音が耳の奥にキンと響く。
ついで遠くで同じように響く、剣が弾かれるような甲高い音。
それはもうすぐそこまで来ているようだった。
やがて目の前の大扉が開かれるだろう。

アントーニオは全ての装備を調え、大きく息を吐き出した。
動揺は確かにある。
まさかこんな状況になるとは思いもしなかった。
城で待っていたアントーニオの元に届いたのはマーガレット姫を連れ戻してきたという報告ではなく、徒党を組んだ一部の兵達が反乱を起こしているというものだったのだから。
しかもその反逆者の中にはマーガレット姫付きのシートン、そして姫を拐かした張本人であるアルバニー、更には・・・未確認情報ではあるが、あのギルデンスターンまでもがいるという。
状況は良くなかった。
元々多くの兵を森に向かわせてしまっていたからそれらの兵力全てをここに戻すのは間に合わない。
しかもシートンとアルバニーの説得で一部の兵達、特に昔からこのアセンズに仕える者達や、元々アントーニオを快く思っていなかった者達の多くが寝返ったと聞く。
その上とどめとも言えるのが、アントーニオの腹心と呼ばれたギルデンスターンの裏切りだ。
これは確認出来てはいないが、もし本当だとすればかなりの痛手だ。
いや事実、こんな状況下であるというのにその行方が知れない以上はそれは恐らく本当のことだろう。
元々アントーニオは確かにギルデンスターンを頼りにしてはいたけれども、心から信用していたわけではない。
だからその裏切りに腹は立てどもショックを受けることはなかった。
クインスの教育の賜なのか、アントーニオは基本的に人を信用するということがない。
ただ周りの動揺は思う以上に大きいだろう。
今までエミリア・アントーニオ親子の勢力に押さえつけられてきた他の有力貴族達には、最早アントーニオの時代も終わりだとすら囁かれているかもしれない。

けれどアントーニオは絶望はしていなかった。
この大広間が己が野望の最後の砦だと言うのなら、その最後の砦で全ての反逆者を斬って捨てればいいだけの話だ。
それ以上でもそれ以下でもない。
いつだって、目の前の敵全てを屠ることこそが野望への道だった。それしかなかった。
何の力も持たなかった、姫の乳母であった母の庇護下にあっただけの子供がここまで上り詰めるにはそれしかなかったのだ。
今更それに変わりなどないのだから簡単な話だ。
それが可か不可か、結果はそれだけだ。
けれど不可などありえない。あってはならなかった。
アントーニオにとって負けは許されなかった。
何故ならば、クインスがいたからだ。

アントーニオにとって常に世界は二種類しかなかった。
クインスが喜ぶ世界か、そうでない世界か。
クインスが望む世界か、そうでない世界か。
クインスがいる世界か、いない世界か。

アントーニオにとって一言で言えば、クインスは「全て」だった。
自分の世界全て。
自分が負けることはイコール、クインスの望みを叶えられなくなること。
それは自分の存在意義がなくなることと同義だった。
だからアントーニオは負けることなど考えない。ありえない。あってはならないのだ。



「・・・アントーニオ、」

大広間の、アントーニオが今一人立っている背後の大階段の上。
そこから降ってきた声はエミリアらしく無感情ながら、どことなく窺うような気配が感じられる。
少しは心配でもしてくれているのだろうか。
いや、心配というよりは気がかり、という方が正しかったかもしれない。
今この場には既にアントーニオとエミリアの二人しかいなかった。
ここまで攻め込まれたらどうするつもりなのか、恐らく母はそう問いたいのだろう。
それにアントーニオは振り返ると笑顔すら浮かべて高らかに言ってみせた。

「ご心配召されるな、母上。このアントーニオに逆らおうなどという愚かな雑魚が何匹まとめてかかってこようと、我が敵ではありません」
「ええ・・・ええ、そうですね。あなたは強い、アントーニオ」
「ありがとうございます。そのお言葉が、今の私には何より強い加護となりましょう」

そう言って恭しく頭を垂れてみせる息子に、エミリアは応えるように小さく頷くだけで表情すら動かさなかった。
けれど実際のところ言葉通りになど早々行くはずもないだろう。
ここに向かってくる輩が一体どれだけの数なのかは判らない。
確かにアントーニオには、かつてはアセンズ一の剣士と呼び声高かったクインス仕込みの剣の腕があった。
言う通り、一般の兵くらいならばいくら束になろうともアントーニオの敵ではない。
しかしその中にギルデンスターンがいたとして、更に二刀流の使い手であるシートンもいて。
聞けばアルバニーという兵士も一般兵にしては腕の立つ男だという。
更に未だ知らない不確定要素があるかもしれない。
単純な数などは言う程の問題にはならないが、一定以上の質を伴った数は確かに脅威となりうる。
そんなことは当然アントーニオにも判っているだろう。
自分を安心させようとして言っているのだ、そう思えばエミリアは無言で腰の辺りに手で触れる。
ドレスの下にある固く重い感触。
今日はいつもと違ってれっきとした長剣を下げている。
そのためドレスの下部が少し膨らんでしまっているのも最早致し方ない。
この状況では、いざとなれば自分も加勢せざるを得ないだろう。

「母上、・・・母上は、そこで私の戦いぶりをご覧になっていてくださればよいのです」

しかしエミリアの動きに感づいたのか、アントーニオは先にそれを制するようにして頷き、笑ってみせた。

「決してそこから降りてきてはなりません。
・・・本来ならば奥に隠れていていただきたいのですが、母上は時折頑固でいらっしゃる故聞き入れては下さらないでしょうから」
「・・・当たり前でしょう。息子が戦っているというのに母に隠れていろなどと」
「ありがたきお言葉痛み入ります。このアントーニオ、母上のために今から反逆者共を血祭りに上げてご覧に入れましょう」

そう言って大階段の上のエミリアをじっと見上げるアントーニオの、この状況にはそぐわない妙に穏やかな瞳の色。
エミリアは無表情の中にも少しだけ眉を下げてそれを見下ろす。
絡み合う視線と視線の間には様々な感情が複雑に絡み合う。
鳶色の瞳はまるで夜の月を見上げるようにうっすらと細まる。

「いつまでも、永久に変わらず、・・・」

小さく呟くように唄うように言う。
それは変わらぬ誓いだ。
父であり、母であり、愛した人であり、・・・その全て。

「・・・・・・あなただけを、愛しております」

エミリアはそれに躊躇いがちに何事か口にしようとした。
けれどその言葉に被さるようにして轟音が響き渡った。


大扉が勢いよく開かれ、複数の人間が雪崩れ込んでくる足音。
アントーニオはゆっくりと正面を向く。
まず目に入ったのはシートン、そして年若い兵士・・・恐らくはアルバニー、そして他何人かの一般兵、・・・見慣れないおかしな格好をした年若い男。
そしてその奥から前に出てきたのは、つい昨日まで自分に恭しく頭を垂れ、常に右腕として任務を遂行してきた男。
ただそこには見慣れた顎髭がなかった。
なるほど、最初からこちらを欺くつもりでいたというわけか。
アントーニオは冷酷に唇を歪ませて腰に差した剣に手をかける。

「来たか・・・ギルデンスターン」

その大きな瞳はじっと真っ直ぐにアントーニオを睨むように見つめる。
今までの無機質な色は最早そこにはなかった。
あるのは、静かに燃えさかる炎。

「・・・そうだ。私はやってきた。戻ってきた。・・・ただし、もうギルデンスターンではないがな」

その言葉の意味を探るようにアントーニオがじっと見据えれば、小柄な身体は身の丈程もある長剣の細い切っ先を真っ直ぐに突きつけた。
しかしそれはアントーニオの方ではなく、大階段上にいるエミリアに向けてだ。

「憶えているか、私の顔を。憶えているか、お前達親子がかつて私から国を奪ったことを。憶えているか、私から全ての幸せを奪った時のことを」

大広間に通る声が高らかにそう告げる。
アントーニオは何のことだと眉根を寄せる。
けれどふと見上げた先のエミリアは、驚愕に目を見開いて二の句が継げずにいるようだった。
まさかそんな、ありえない、・・・そんな表情。
その表情にアントーニオは言いようのない焦燥感を憶えた。
反逆者が攻め込んでくると知った時ですら、それはつい今さっきまでだって感じはしなかったというのに。
今ギルデンスターンは・・・今までそう名乗って自分達を欺いてきた男は、アントーニオにとっての唯一絶対に一体何を突きつけようとしているのか。
エミリアに向けられた切っ先は届くはずもなかったけれど、代わりに言葉が刃となって届いたようだった。

「憶えているか、エミリア。・・・忘れたとは言わせぬぞ、私のこの顔を」

エミリアは暫し呆然としたように唇を戦かせる。
やがてふっと目を伏せ大きく息を吐き出すと、再びゆっくりと目を開いて静かに言った。
かつて自分が追い落とした太陽を見下ろして。

「クローディオ・・・まさか亡霊が地獄から戻ってくるとは・・・」

呟かれた母の言葉にアントーニオもようやく気付く。
再び見据えた目の前の小柄な男。
その漆黒の髪に漆黒の瞳は・・・そう、かつて幼かった自分が初めてこのアセンズ城に来た時、王妃より紹介を受けた。
自分よりも少し年下で、自分よりもずっと小さな身体で、そのくせ大きくて意志の強そうな瞳が随分と印象的だった。
先王が死んでから数年で急速に権力を増したエミリアとアントーニオ親子の手によって国を追われることとなった、この国の本来の王位継承者。
アントーニオは少しの驚愕の色を瞳に映したけれど、すぐさま喉の奥で小さく笑うと腰に差していた大剣をすらりと抜いた。
刃の鈍い色がシャンデリアの光を弾く。

「そうか・・・クローディオだったか。戻ってきたか。おめおめと国を捨てて逃げたお前が、今更我らに牙を剥くか」
「・・・そうだ。あの頃の私は幼く、弱かった。逃げることしか出来なかった。しかし今は違う。・・・もう二度と、お前ら親子の好きにはさせん」

低く抑えて呟かれる声はギルデンスターンとよく似ていたけれど、それでもそこに滲み出る、迸るような強さは確かにクローディオのものだった。
その長剣の切っ先がエミリアから自分に向けられたことにアントーニオは何処か満足げに薄く笑うと、自らの大剣の切っ先もまたクローディオに向ける。
二人の周りにはシートン、アルバニー、そして直樹、それ以外にもクローディオ側の一般兵とアントーニオ側の一般兵がそれぞれ駆けつけてきていた。
けれど皆一様に二人の様子に固唾を呑んでいた。
恐らく二人が互いに突きつけた切っ先と切っ先が触れ合った瞬間が、戦闘の合図だ。

「運良く生き延びたのなら、そのまま惨めに地を這い蹲って生きていけばよかったものを・・・」

嘲るような響きと共にアントーニオがゆるりと一歩を踏み出す。
刃と刃が触れ合うギリギリの所で交差する。
鳶色の瞳と漆黒の瞳が互いだけを映して火花を散らす。
そんな二人をエミリアは上からただじっと見下ろしていた。

「・・・祖国を奪われたままに生きながらえることは最早生きているとは言わぬ。たとえ幾たび地に落とされようとも、私はお前らに奪われた全てを取り返す!」
「亡霊如きに私の、・・・母上の望みの邪魔はさせん。亡霊は亡霊らしく、地獄に送り返してやろう!」

切っ先と切っ先がぶつかり合う甲高い音。
それを合図に、豪奢なシャンデリアと華美なカーペットに彩られた大広間は一転して戦場と化した。






森に送っていた兵士の一部が予想よりも早く戻ってこれたせいもあり、数で言えばアントーニオ側の方が僅かに優勢だった。
けれど実際のところ戦況としてはクローディオ側に有利に動いていると言わざるを得ない。
クローディオ側は数こそ僅かに劣ってはいたが、その分個の能力が高かった。
若いながら奮闘するアルバニー、そして妖精の力を得て不可思議な剣術を仕えるようになった直樹、更に二刀流の使い手であるシートン。
特にシートンは両手の剣を巧みに操り、多い時には4人もの敵を一手に引き受けては華麗に倒していく。
普段こそ妙な女言葉を使い飄々としているからあまりそうは思われないが、シートンは剣の腕なら今のこのアセンズでも五本の指に入るだろう。
たった今も右手の剣で目の前の敵をなぎ倒し、ついでとばかりに斜め後ろで交戦していた直樹に迫る刃を左手の剣で受け止め、更に返す剣先でその相手の腹をなぎ払った。
直樹は唐突な援護に目を白黒させながらも軽く息をつくようにしてシートンに背中を預ける。

「び、びっくりするやろっ。いきなり入ってくんなや・・・。うあー疲れたっ」
「何言ってんの。少年が危なっかしいんだもの。見てらんないわ」
「しゃあないやろっ。俺、剣なんて握ったこともないねんから!・・・でもそれにしてはようやってるやろ?」
「まぁ、確かに。これも森の妖精のご加護かしら」
「あー、かもなぁ。そういうもんの存在を信じひんとわけわからん、・・・っわ、こんなん・・・っ」
「まぁ大変だろうけど、もうちょっと頑張りなさいな。・・・アルバニーだって頑張ってるし、ねっ!」

シートンと直樹は互いに背を預けながら、同時に迫ってきた敵の刃を剣で受け止める。
耳をつんざく甲高い金属音に直樹は顔を顰めた。
相手の力をに対抗するために力を込めた手にうっすらとかいた汗が不快で、直樹はそれらを跳ね返すように大きく息を吐き出す。
するとその拍子に鼻の奥が何かにくすぐられるような感覚。
そのままふわっと意識が浮き上がるような気がしたかと思うと、直樹は派手にくしゃみをしてしまう。
けれどその勢いで剣の先は上手いこと相手の腹に潜り込んでなぎ払っていた。
気付けば相手は既にぐったりと床に倒れ込んでいる。

「・・・あれ、またや。ほんますごいなコレ・・・」

はぁ、と一息ついて何気なく周りを見回してみる。
すると向こう側でアントーニオと交戦中のクローディオの背後に敵の刃が迫っているのが見えた。
直樹は慌ててそちらに向かおうとする。

「あっ、ちょ、お兄さ・・・クローディオっ!あぶな・・・っ!」

けれどそんな直樹の襟首が後ろから引っ張られ、引き戻された。
こっちもまた敵かと振り返った直樹の襟首を掴んでいたのはシートンだった。

「ちょ、なんやねん!おいっ、あの人が危ないねんぞ!」
「クローディオ様なら大丈夫だから。むしろ無闇に手を出すとあんたまで巻き込まれるわよ。・・・ほら」

シートンが示してみせた先。
直樹がハッと見れば、クローディオは交えたアントーニオの刃を一度激しく火花散らすように剣で叩きつけたかと思うと、その反動を利用して軽やかに後ろに宙返りして飛んだ。
そして後ろに迫っていた一般兵の刃は今さっきクローディオがいた場所を空しく薙ぐ。
まるで重力を感じさせずそのまま兵の後ろに着地したクローディオはモーションなしで相手の背を下から切り裂いた。
そのあまりに華麗な動きに直樹は目を奪われたかのように暫し見とれた。

「・・・ね?大丈夫だったでしょ?」
「あんたもすごいと思ったけど・・・あの人はなんちゅーか・・・」
「私とクローディオ様なんて、比較にもならないわ。あの方は元々お世辞にも体格に恵まれたとは言えなかった。けれど逆にそれを利用した身軽さと俊敏さはやり方次第で強力な武器となる。
・・・まぁ、まさかこの10年間であそこまで腕を磨かれていたとは思わなかったけど。今のあの方を捕まえるのは至難の業でしょうね」

長身で体格も良く威風堂々としていた先王に比べ、その息子であるクローディオは生まれた時から小柄で細身だった。
更にその上切れ上がった大きな瞳に艶やかな黒髪ときては、下手をしたら少女に間違われる程で。
そんな自分の身体は、いつだって次代の王としての自覚が強かったクローディオにとってはコンプレックスでもあった。
けれど皮肉なことに、国を追われた10年間はそんなコンプレックスを逆にバネにする力をクローディオに与えた。
そうでなければ、まだ幼かったクローディオは生き延びてなど来られなかったのだ。


アントーニオの大剣の切っ先が先程から何度もクローディオに届くけれど、クローディオはその度それを長剣で受け流し、身体を捻って避ける。
二人のタイプを大きく分けると、アントーニオは一撃が深く重いタイプ、クローディオは一撃が鋭く手数の多いタイプだ。
それぞれが得意とするスタンスで互いを探りながら剣を交える中、苛立っているのはアントーニオだった。

「ち・・・さっきからちょこまかとすばっしこい奴だ。まるで羽虫でも相手にしている気分だな」
「その羽虫相手に翻弄されているお前はどうなのだ?」
「・・・ふん、ちょろちょろと飛び回っているだけでもう勝った気か?お前如き、握りつぶしてくれるわ」

重い大剣がアントーニオの両手から繰り出される。
クローディオの細身の長剣と違って幅から厚みから全てが重量のあるそれは、風を切って繰り出されれば致命的な威力を持つ。
微妙な角度から繰り出されたそれにクローディオは咄嗟に受け流しきれずに剣で真っ向からそれを受けた。

「くっ・・・」

あまりの重さに手が痺れる。
金属と金属がぶつかり合う甲高い音が耳をつんざく。
ギリギリと押され、ゆっくりと近づくアントーニオの冷酷な表情を睨みつける。
そしてきつい視線を送る大きな瞳にまた返される瞳の奥には、暗い炎が燃えさかっていた。

「お前の存在など・・・私は認めん・・・」

低く威圧的なその声に、クローディオもまた唸るように返す。

「お前に言われるまでもない。お前ら親子が私を邪魔に思っていたことなど、10年前に思い知った」
「・・・そうだ、お前は邪魔だ、クローディオ。お前は母上を苦しめる・・・私には判る・・・お前は、邪魔なのだ・・・っ!」

威圧的ながら何処か切迫したような声。
それにクローディオが僅かに怪訝そうに眉を寄せた瞬間だった。

「っ、ぐぅ・・・ッ!」

一際強い力で押され、返そうとしたところを唐突に腹を蹴り飛ばされる。
身軽な身体はそのまま吹っ飛ばされ、剣は手から滑り落ちてしまう。
咄嗟に再び手を伸ばすけれど、その寸でで剣はアントーニオのブーツの先で蹴り飛ばされてしまう。
アントーニオは間髪入れず大剣の切っ先をクローディオの首元に突きつける。

「所詮お前は私には及ばぬのだ。・・・自らの未熟さを悔いて、死ね」

冷酷な宣告にもクローディオは最後まで折れることなくアントーニオを見上げ、きつく強い眼差しを向ける。
けれど視線だけで怯むようなアントーニオではない。
当然のように、そのままその切っ先はクローディオの喉を切り裂こうとした。
けれどアントーニオは何かに気付いたようにハッとすると、咄嗟に背後を振り返ってそのまま懐から取り出したナイフを鋭く投げた。

「なん、だ?」

クローディオも驚いたようにそちらを見る。
するとその投げられたナイフは大階段の上、戦況をひたすらに眺めていたエミリアに・・・あろうことか公爵の母に刃を向けようとした、クローディオ側の一般兵の背中に突き刺さっていた。
その兵はそのまま崩れ階段の下に転がり落ちていく。
いや、もしかしたら刃を向けるというよりかはその身体を拘束しようとしたのかもしれない。
この戦況をいち早く有利にして終わらせるには確かにそれが早かっただろう。
けれどその行動はアントーニオの神経を逆撫でた。
とどめを刺そうとしていたクローディオもそのままに、アントーニオはすぐさま大階段の上に駆け上がり母を背に庇うようにして大広間を見下ろした。

「・・・母上には指一本触れさせん。殺されたい奴からまとめてかかってこい」

その言いようのない凄みを帯びた声音と殺気立つ視線に皆一様に息を飲む。
もうアントーニオ側の兵士はほとんど残っていなかった。
シートンとアルバニー、それに直樹の活躍でそのほとんどが傷を負うか降伏してしまっていた。
けれどアントーニオには関係なかった。
元より自分の力しか信用していないのだ。
たとえ自分一人になろうとも、自分が残り全ての敵を斬り捨てればそれでこちらの勝利になる。

勝たなければ。
そうでなければ。
一体誰が母を・・・父を、守れるというのか。
自分が負けたら父はどうなる。
それを思えばアントーニオには負けるなどということを考えることは出来なかった。

「・・・アントーニオ?」

視線で射殺すように大広間を見下ろすアントーニオの背後で、エミリアが小さく呟くように名を呼んだ。
アントーニオは振り返ることなく頷く。

「大丈夫です、母上。ご心配には及びません。所詮雑魚が何匹束になろうと同じことです」

それに返された声は小さく、アントーニオにしか聞こえなかっただろう。
それはエミリアではなくクインスのものだった。

「・・・私の力は必要ないか」

確かに。
かつてはアセンズ一の策士かつ剣士と謳われたクインスの力を持ってすれば、この場を納めることは案外容易いのかしれない。
けれどそれは最終手段であり、アントーニオはその最終手段を用いる気はなかった。
父に刃を握らせたくなかった。
その手を血にまみれさせたくなかった。・・・もう、これ以上は。

「・・・ええ、大丈夫です。・・・父上のお手を煩わせるには及びません」
「死ぬことは許さぬぞ」
「もちろんです。あなたを置いて私が死ぬはずがない」
「・・・死ぬな、アントーニオ」
「あなたがそう仰せならば、父上」

アントーニオの肩口で交わされた小声は階段下の人間達には聞こえはしなかった。
そしてさっきが嘘のように静まりかえっていた大広間には、ただブーツの踵が床に立てる小さな音だけが響く。
蹴り飛ばされた長剣を右手に拾ったクローディオがゆっくりと歩いてくる。
そしてアントーニオもまたゆっくりと一段また一段と下りてくる。

「・・・決着をつけるか、アントーニオ」
「ふん、判りきっている決着などさっさと終わらせたいものだな」

ヒュッと鋭い音共にアントーニオの大剣が風を薙ぐ。
背後にじっと見つめてくるクインスの視線を感じながら。

どうかご心配召されるな父上。
私が負けることなどありえない。
私は絶対に負けない。
負けやしない。

だってもしも負けてしまったら。
自分が死んでしまったら。
あなたはどうなるのか。
あなたを誰が守れるというのか。
そして、あなたは一体誰のものになってしまうというのか。

負けることが怖い。
負けたら奪われてしまう。
この目の前の、大きな瞳の奥に強い意志を宿した男は、きっと自分から奪ってしまう。
アセンズの王位だけではない。
クインスすらも、きっと自分から奪ってしまう。

許せない。
そんなことは絶対に許せない。
奪うなら敵だ。
それは誰でもない。

自分からクインスを奪うならば、その全てが、敵だ。










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(2005.9.3)






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